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2020年03月30日08:28

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キリシタン紀行 森本季子ー80 聖母の騎士社刊

私の奄美紀行ー44

ここにも奄美宣教のパターンを見る。まず有識者の招請によって布教が始まり、彼らの家族ぐるみの入信、血縁者への伝播と輪を広げ、近隣の集落へと波及してゆく。大熊から浦上、有屋という具合である。フェリエ師一人ではとても間に合わない。
 師の友人、ヨゼフ・フェルディナンド・マルマン師が加勢に派遣された。明治25年10月である。彼は初めて大熊の主任司祭となった。この一事をもっても大熊が福音の実り豊かな畑であることが分かる。しかし大熊でマルマン師の名に接しようとは、私にとって懐かしい驚きだった。
 私の属する聖心侍女修道会のシスターズが一昨年長崎・五島の巡礼を行い、私も参加した。マルマン師は明治10年から五島の使徒として活躍した。私たち小巡礼団は行く先々で師の働きの跡を見た。孤児の養育を手がけ、女部屋の女性たちと共に奥浦慈恵院を創始したのも、奥浦湾に面した美しい岬に、堂崎天主堂を建立したのも師である。天主堂の前に孤児を抱くマルマン師の像も見てきた。そのマルマン師が大熊宣教の開拓者であったのだ。
 その頃、司祭たちの生活は貧しかった。マルマン師の大熊住居は一室のみで、聖堂、食堂、寝室などすべて兼用していた。明治27年(1894)、必要に迫られて彼は神の家の建築に着手した。同年8月15日に完成した木造二階建は、名瀬に先がけて奄美最初の聖堂となった。

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