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2020年03月23日08:36

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キリシタン紀行 森本季子ー75 聖母の騎士社刊

私の奄美紀行ー39

 更にパトリック師は和光園と自らを一体化するため、この聖堂脇に自分の住居とする小屋を作って移り住んだ。
 「この小屋に寝台を一つと冷蔵庫と作業机兼調理台を置き、その日からこの小屋が彼の城となった。二メートル近い大男が小さな小屋に起居している姿は牛小屋の牛を想わせて滑稽でもあった。」(前掲誌)
 しかし彼はここで大満足だった。聖金曜日の典礼の中で行われる洗足式には十二人の患者の足に接吻さえした。
 そのパトリック師が翌昭和27年(1952)8月5日、大熊教会主任司祭に任命された。この教会はこれまでの手狭な仮聖堂に代わるコンクリートの本建築に取りかかっていた。身長二メートル近い偉丈夫のパトリック師を中心に信者一丸となっての労力奉仕である。当時、誰もが裸足であったが、師もまた裸足でブロック積み、コンクリート混ぜに汗とほこりにまみれた。落成は翌年4月。「奄美で戦後初めてのコンクリート造り」を信者は誇った。現在の聖堂である。この献堂式を済ませると、師は和光園の患者に専念奉仕するため和光園担当司祭として転出した。例の小屋がまたしても彼の城となった。

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