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2020年02月24日08:43

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キリシタン紀行 森本季子ー49 聖母の騎士社刊

私の奄美紀行ー12

●司祭、修道女の故郷

 奄美にローマは笠利とも大熊とも言われている。ここはそれほど教勢の盛んな地域だった。名瀬の大熊がパリー外国宣教会司祭による宣教の初期にカトリックを受け入れた。が、笠利は長崎出身の日本人司祭が先鞭をつけた。それも、明治30年(1897)中村長八師によってである。長崎五島のカトリック集落、奥の浦出身。後に日本人最初の海外宣教師としてブラジルに渡り、日系移住民の父と慕われた人である。この奄美大島北辺にカトリック導入を望んだのは地域の有識者だった。宣教師最初の入島地、名瀬がそうであったように、”土地の有識者、有力者による宣教師招へい”が奄美伝道の特色あるパターンとなっている。これが宣教を容易にし、短期間に信者数を増した。教会のある笠利町の大笠利地区(笠利三区)において信者数は約八百人。全世帯数の四十パーセントを占め、多くの司祭、修道者を出している。

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