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2020年02月23日07:53

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キリシタン紀行 森本季子ー48 聖母の騎士社刊

私の奄美紀行ー11

 瀧師の運転するワゴン車の左右に砂糖キビ畑が点在している。二毛作の出来る気候条件を持ちながら水田が殆どない。一度キビ畑にしてしまうと土地が荒れ、水田は作りにくいそうだ。ここにも水田をキビ畑に強制切りかえさせた「大和世(やまとんゆ)」の跡を見る思いがした。米、その他生活必需品の多くは本土からの移入に頼っている。かって薩摩の主要財源をなした奄美の製糖の現況は、栽培コストの上昇と国際的な糖価の低迷のため昭和35年(1960)後半以降は不振を続けているとのこと。原料不足から閉鎖された製糖工場もある。奄美諸島は世界的に見ても砂糖キビの北限にあたる。皮肉なことに、黒糖が希少価値のあった時代には飽くなき搾取に地獄の苦しみをなめた。それが市場解放の現在、島内の調味料とわずかな土産品として出回っているに過ぎない。藩政時代に先祖たちが自作の黒糖も口に入れられなかった恨み、というわけでもなかろうが、島の人々は甘味が好きである。奄美では米が取れないと聞いていたので私は東京のおいしいおせんべいをお土産に持っていったのだが、これは失敗だったことが後で分かった。

 キビ畑に黒糖回顧をそそられながら車は北上し、笠利町の教会に到着した。一行は司祭館に案内された。そこにはおすしのご馳走が用意してあった。

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