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2020年02月22日08:01

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キリシタン紀行 森本季子ー47 聖母の騎士社刊

私の奄美紀行ー10

●歴史を語るキビ畑

 車は海岸沿いに北上した。沿道の畑地が草の生えるに委せてある、と思っていたところ、これが砂糖キビだった。四月に刈り取った後、親株から自然に生える芽出株を育て、翌年また収穫するそうだ。翌年また収穫するそうだ。砂糖キビが「黒糖地獄」を思い出させる。

 奄美の「大和世(やまとんゆ)」つまり薩摩藩の直轄時代(1609−1871)、島民は黒糖ゆえに苛酷な生活と労働を強制された。耕作者は自分で作るキビの一本も口にすることが許されない。切り株をしゃぶった子供まで罰せられたという。島の哀歌に、

かしゅてんしゃてんな たがためどなるゆる
やまとしゅぎりゃがためとなるゆる

 こんなに苦労して働いても誰のためになるのだ、薩摩のちょんまげ衆のためにしかならない、というのである。島民(しまんぢゅ)にとって本土とは薩摩を指した。島津藩が二百六十年も黒糖収奪の手をゆるめなかったのは、黒糖こそ藩にとって貴重な財源だったからである。幕府から命じられた木曽川治水の難工事をやり遂げたのも、明治維新の薩藩経財力を培ったのも、奄美の黒糖だったと言われている。

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