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2020年02月18日10:20

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キリシタン紀行 森本季子ー44 聖母の騎士社刊

私の奄美紀行ー7

奄美に再び司祭が常住するのは、戦後の昭和22年になってからである。昭和21年2月2日、いわゆる二・二宣言によって、北緯三十度以南の南西諸島(口之島以南)は米国の軍政下に置かれた。この米軍統治領で宣教を担当したのが、アメリカ系・フランシスコ会。フェリックス・レイ、オーバンの二師が昭和22年9月14日、名瀬に上陸した時をもって、奄美のカトリックは蘇生期を迎えるのである。カプチン会は五年間奄美教会の復興に献身した後、昭和27年(1952)離島した。沖縄宣教に専念するためである。

 コンベンツアル・フランシスコ会がその後を引き継いだ。アウシュビッツの聖者として有名なマキシミリアン・コルベ師は同会の会員だった。コルベ師は昭和5年(1930)ゼノ修道士らと共にポーランドから長崎に渡来、聖母の騎士修道院を創設した。日本にゆかりの深い聖人である。

 まずゼロム・ルカゼフスキーとルカ・ディジャックの二師が奄美に来島したのが昭和27年(1952)11月27日。それ以来、コンベンツアル・フランシスコ会の奄美における宣教活動は、現在まで幅広く続けられている。

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