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2020年01月21日05:44

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キリシタン紀行 森本季子ー20

 施設長のシスター浜崎から「女部屋」時代の話を聞くことができた。もともと「女部屋」は九州地方でその地域の必要性に応じて司祭を助けた未婚の女性信徒である。地域ごとに自然発生的性格をもっている。修道会として統合されたのは昭和三十年以降になる。福江島の「女部屋」所属の女性は「かいご(蚕)部屋の姉さん」と呼ばれた。彼女たちは蚕を飼い、糸を紡ぎ、手機(てばた)を織った。出来た反物は行商して現金に替え、孤児たちの養育費用にあてた。太平洋戦争中も行商して施設を支え、これまで三千人の孤児を育てて社会に送り出したという。慈恵院の功労者、シスター、木口マツさん(八十七歳)は福江の聖マリア病院に入院中だった。それで一行は帰路に彼女を見舞うことになった。

 施設の子供たちの明るい笑顔と振る手に送られて堂崎教会に向かった時は、もう十二時をかなり過ぎていた。


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