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2020年01月18日08:32

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ロシアの夜 ヴェーラ・フィグネル


ロシアの夜 ヴェーラ・フィグネル
(世界ノンフィクション全集21 筑摩書房刊)

(前略)
どこに目を向けたらよいのか、どこに力をそそいだらよいのか?すべての悪は現存する経済関係のなかにある。この関係はつぎのようなものである。少数の者が私有財産の権利によってすべての生産用具を所有し、人類のひじょうに多くの、圧倒的多数をなすのこりの者は、ただ労働力を所有するにすぎない。飢えにせまられて、この多数の者は前者のグループに自分の労働を売るのだが、競争があるために、その代償としてうけとるのは、その労働によってつくり出されたもののほんのわずかな部分にすぎない。この部分は労働者が生きることができ、その一族を絶やさないようにするために必要な最小限の生活必需品をなすのである。この多数者の勤労の生産物のその他の部分は、生産手段の所有者のものとなる。資本家の競争は中間層をなくして、資本をますます集中させる。それとともに、不幸な人々の仲間はふえるばかりである。上ではひとにぎりの幸福な人々が贅沢にふけり、文明の恵みをことごとく享受しているのに、下では数百万の人々が、貧乏、無知、犯罪、悪徳の中をはいまわって、肉体的にも、精神的にも、道徳的にも、退化の運命にある。このようないまわしい事態をなくすために必要なことはただ一つ、生産手段を私的所有の対象からのぞいて、それを勤労者の集団的所有に移すことである。そのような変革はたたかいによってはじめて可能になる。なぜなら有利な条件のもとにある階級が自分の立場を自発的に放棄することはありえないからである。そのたたかいのためには、それの成功にいちばん関心をもっている階級、すなわち労働者階級、人民自身が組織されなければならない。この階級の利益が全人類の利益と一致すると考える人は、人民の間に社会主義思想を宣伝し、この思想のための積極的なたたかいに人民を組織する事業に献身しなければならない。
 これが、チューリッヒ生活の結論であった。(中略)
ある美しい夜のこと、ふたりだけでぶどう畑のあいだをそぞろ歩きをしていたとき、妹はこの上なく感動的な表現で、つぎのような問いをわたしに投げかけた。わたしは革命の事業に全力をつくすという決心がついているか?必要とあれば、夫との関係をすべて絶ってしまうことができるか?この事業のために学問をすて、地位や名誉もすてるか?これに対してわたしは、熱情にもえて「しかり」と答えた。それから妹はロシアで活動するつもりの秘密の革命団体がすでに組織されているということを告げた。妹はこの結社の規約と綱領を読んできかせた。わたしはすべての点でそれに同意すると答えた。そしてその場で会員として認められた。ときにわたしは二十一歳であった。(後略)
これは革命家の道を選び、農村で民衆の意識改革の行動にまい進し、結局無力感にとらわれ、皇帝暗殺にまで至った女性が長い監獄生活の中で書き綴った膨大な革命記録の一部。ようやく恩赦で出獄してまもなくロシア革命が起きる。

しかし彼女の社会の不平等な構造への認識が、今の日本社会が置かれた状況にあまりにも類似しているように思えて仕方がない。特にその不平等が残酷な形で推進されていく様を思うと、彼ら革命家たちが再び黄泉の国からよみがえり日本の民衆を叱咤激励してほしいとさえ願う。

ロシア革命が極端な権力集中の結果、残酷無残無慈悲な批判者、反対者、更には無実、無関係者の粛清という名の殺戮を生み出したとはいえ、彼女の社会改革への熱情には感動する。

不正、不平等、差別を見逃せない善なる人達と地球上の自然、資源等や富と権力を限界なく集中に収めたいという悪党共との永遠の闘争が人類そのものの本質なのかとさえ思う。外は晴れ、気持ちのよい一日だ。この今では貴重な平和の時間を楽しむことにしよう。

2017年6月5日 午後2時20分 ジャー・ヒロ

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