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2019年07月13日07:11

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蟻の街の子供たち 北原怜子(きたはらさとこ)−65

聖母文庫 聖母の騎士社刊

 私は、まったく途方にくれてしまいました。その時、ふと気がついたのは、上野公園の中の墓地集落に、蟻の会の支部が経営する仕切場があるということです。この分では、とても浅草まで歩いて帰れないので、せめて墓地集落まで辿りついてなんとかしようと思いました。私たちは、初めての道を聞きながら七軒町から、動物園の裏線に突き当たり、その長い長い塀にそって山をのぼって寛永寺の前に出て、それから又、上野公園の中へ散々まごついたあげく、墓地集落に辿り着きました。蟻の会の支部の中に入って行くと、顔見知りの支部長の塚田さんが喜んで迎えて下さいました。私は、事情をお話して、四つの大きな風呂敷一杯の紙を広げて見せました。支部長さんは気の毒そうな顔をして、
「これは、羊羹の包装紙ですね。紙としては日本紙で上等ですけど、銀紙がはってあるので一銭にもなりませんよ」
 と、おっしゃいました。私は、もう泣き出したいような気持ちになりました。塚田さんは親切に、子供たちに御飯も食べさせるし、電車賃も貸して下さると言って下さいましたが、そんなことに甘えるために始めた屑拾いではなかった筈なので、私は意地になってそのご厚意をしりぞけました。
「あの、この銀紙をはがしても値打ちはないのでしょうか」
「そうすればもちろん、素晴らしい値打ちが出ますが、こんなに細かく切りきざんだ紙を一枚一枚はがしていたら、手間賃の方がずっと高くなるのですよ」
「いいえ、そちらではがして頂くのではございません。私の方ではがすのです」
 私たちは、墓地集落の一隅で、夢中になって、羊羹の包装紙の銀紙はがしを始めました。これをやりとげれば、御飯が食べられるし、電車に乗って帰れるという目標がはっきりしているせいか、仕事はどんどんはかどりました。丁度半分位はがし終わった時、蟻の会の会長さんが、間もなく支部に見えるという伝言がありました。根が負けずぎらいの私ですから、こんな失敗を会長さんに知られたくなかったのです。大急ぎで塚田さんに半分だけ仕切って頂き、その代金の八十円を握って墓地集落を飛び出して、地下鉄で浅草に帰りました。「蟻の会」へ帰ってから残りの半分を仕切ったら、これも約八十円位でしたから、バタ車を引いて行けば、百六十円ですが、四人がかりで電車で行ったのでは一銭の儲けにもならないわけです。でも、御飯も食べず、帰りに電車の乗り換えもしなかったので、差し引き五十五円残りました。

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