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2019年07月12日10:17

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蟻の街の子供たち 北原怜子(きたはらさとこ)−64

聖母文庫 聖母の騎士社刊

 私は悪い癖で一度失敗すると、成功するまでやってみたくなるので、それから数日後に、又言問橋を渡りました。今度は裏道を歩かないで、電車通りをどんどん寺島の終点まで流して行きましたが、ろくなものがありません。仕方がないので、白髭橋を渡って、ガスタンクのところへ出て来ました。ところが、この辺は工場が多いと見えて、大きな塀ばかりつづいていて、何一つ獲物がありません。うろうろしているうちに、夜中の十一時頃になったので、すっかりあきらめて最後にあけた大きなゴミ箱の中に、工場で使ったアブラ布がぎっしりつまっていました。こんなものが、再製できるかどうか自信がありませんでしたが、とにかく、車に一杯積みあげて帰って来て聞いたら、これが立派に再製綿の材料に使われると聞いて二度ビックリしました。
 ある日、父のお友達が、紙屑をどっさり出して下さるというので、喜んで頂きに行くことをお約束して、先方の場所を聞くと、本郷の大学の近くです。蟻の街の人に相談したら、坂がいくつもあるから、女や子供が車を引くのは無理だと言われました。仕方がないので、大きな風呂敷を持って、吉ちゃん、黒ちゃんと、守男ちゃんを連れて四人で電車に乗って出かけました。
 先方は、いろいろな包装紙を造る工場で、その日は羊羹(ようかん)の包装紙の断ち屑をどっさり下さいました。
 この日、私は電車賃として八十円しかお金を用意して行きませんでした。ところが電車に乗ってから気がついてみると、浅草から本郷に行くには、どうしても一回都電の乗り換えをしなければならなかったので、八十円のお金は往きだけで使い果してしまいました。そこで、やむをえず、帰りは重い荷をかかえて歩かなければならなくなりました。
 間の悪い時には悪いもので、電車で往復すると聞いて、生まれてからまだ電車に乗ったことのない吉ちゃんがぜひにとついて来たのでしたが、すぐ帰れると思っていたので、朝御飯を食べずに出て来てしまったというのです。上野まで来ないうちに吉ちゃんは、お腹がすいて歩けないと言い出しました。

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