聖母文庫 聖母の騎士社刊
それは、今年の十一月中旬でした。
私が、二階で母の仕事を手伝っておりますと、お店の人が、
「怜子(さとこ)さん、お店にサンタクロース、そっくりのお爺さんが来てますよ、来てごらんなさい」
と言いに来ました。
私は何の気なしに、店に出て行きますと、黒い修道服を身にまとい、房々とした白い髭(ひげ)を生やした、大柄の神父様が、お店の人たちを相手に、眼を細くして、面白そうに話をしておられました。
その白いお髭のお爺さんは、黒い大きな鞄(かばん)から、美しいマリア様の御絵や、「聖母の騎士」という雑誌や、コルベ神父様の伝を書いた、小さなパンフレットを出して、皆に説明しておいでになりました。
私が、お店に姿を現しますと、すでに店の人から、私が、洗礼を受けているとお聞きになっていたとみえて、
「アナタ、センレイウケマシタカ」
と、やさしくお尋ねになりました。私が、メルセス修道院で洗礼を受けましたと、お答えしますと、
「ヨロシイデス、ヨロシイデス。アナタ、童貞様(シスター)ニナリマスカ?」
まるで、人の心の底まで、すっかり見抜いているような、するどい、しかも、人なつっこい目つきで、私の顔を見つめながら、おっしゃいます。
「・・・ええ、多分・・・」
「ソウデスカ、ソレ、イイコトデス。聖母マリア様オメグミ、キットアリマス。・・・モシネ。アナタ。可哀そう人間ノタメ、お祈りドッサリタノミマス」
と、その神父様は、片言まじりの日本語をおっしゃったと思ったら、
「デハ、サヨナラ、オジイサン、イソガシイ、マタ、キマス、オ祈リタノミマス」と言い捨てて、ひょうひょうとして、出て行かれました。
「今の神父様は、一体何の御用があって見えたの?」
神父様の後ろ姿を見送りながら、私は、店の人に尋ねました。
「さあ、知りません。僕は、多分、玲子さんのお客さんだと思ったから・・・」
店中のものが集まって話し合っても、誰にも、何の用で見えたお客だか分からず、結局用件らしい言葉は、最後の「可哀そう人間のために、お祈り頼みます」しかなかったということになりました。
ところが、その晩、例のお店の人が、又もや、私の部屋に飛び込んで来ました。「出てます。出てます。怜子さん。さっきのサンタクロースが、新聞に出ています」
と一枚の夕刊を持って来ました。見るとそれは、
「アリの街に十字架
ゼノ神父も一役」
というような見出しで、隅田公園の中にある、「蟻の街」と呼ばれるバタヤ集落の中に、今度、カトリックの教会が建つことになり、長崎の聖母の騎士会に属する、ゼノ神父が材木集めをしているという記事でした。ゼノ神父は、これまでも、上野の墓地集落や、浅草本願寺の浮浪者集落をたびたび助けたことがあるとも書いてありました。そして、その横に、蟻の街の子供たちに取り囲まれて、ニコニコしているゼノ神父様の写真が大きくのっていました。
それは正(まさ)しく、さっき店先で話しこんで行った、お髭のお爺さんに相違ありませんでした。
「じゃ、ゼノ神父様は、あれから、蟻の街へおいでになったのね」
「蟻の街って、一体どんなところかしら?」
浮浪者ばかりが集まっている集落とか!
そんな恐ろしい所に、カトリックの教会が建つとは、どう言うわけかしら!
そうと知っていたら、さっきお目にかかった時、もっと詳しく、お話をお聞きしたかったのに、いや、それよりも、ぜひとも、ご一緒にお伴させて頂くようにお願いしたものを、と口惜しくてなりませんでした。
あるいはすでに、この時から私と「蟻の街」との間には、何か目に見えないものが通じ合い始めていたのかもしれません。
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