聖母文庫 聖母の騎士社刊
(北原怜子 1929年8月22日、東京・杉並に生まれる。桜蔭高女をへて1949年、昭和女子薬専卒業。1949年カトリックの洗礼を受ける。霊名エリザベス。1950年12月、ゼノ修道士との出会いにより東京・浅草の「蟻の街」を知り、同地の子供たちへの奉仕活動を始める。1958年1月23日、「蟻の街」で死去。)
第一章
白いお髭のお爺さん
北海道の水原久子様宛の書簡(昭和二十五年のクリスマス直後に)
久子様
・・・目下私は、一遍に十五人の子持ちになり、テンヤワンヤの朝晩を送っております。
だのに貴方は、初めてのお産が近づいたからと、大変自信がなさそうですね。今からそんなに気の弱いことで、どうなさるおつもり?不幸にして実の親の愛情を知らずに育った貴女には、子供を育てる能力がないと心配していらっしゃる気持ちは、よく分かります。
でも、現在、私が育てている連中は、貴女の少女時代とは、比べものにならない位、貧しく、みじめで、もっと愛情に飢えている子供たちばかりです。
嘘(うそ)だと思ったら、それこそ一遍見に来てごらんなさい。
一番上の子は秀才顔をして、苦虫つぶした、分からずや。下の子は、どれもこれもよだれと涙と洟(はな)とが、ごちゃごちゃで分からず、それをなすりつける着物は、ガバガバにかたくなっているという連中、トラホームで目がつぶれかけている男の子もおります。女の子は、どの子も、人の顔色をうかがってばかりいるので、下手に怒るわけにも、なだめるわけにもいきません。そうかと思うと、まだ三つか四つの癖に、大人に似て、怒りっぽい子に、頭からどなりつけられることもあります。どの子も口だけは達者ですが、勉強をさせてみると、字の読めない子ばかり、頭数は十五人でも、正味は五人の価値もありません。
それでもその一人一人が、私にとって可愛くて、可愛くて、たまらない「我が子」です。
いつまでも、こんな突飛なことを書きつづけていると、気が狂ったんじゃないかと、貴女のお腹の赤ちゃんまでびっくりさせては、胎教上よくありませんから、ほんとうのことを教えてあげましょうね。
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