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2019年04月13日08:10

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閔妃(ミンピ)暗殺(朝鮮王朝末期の国母)角田房子著 新潮文庫ー31

(※は本文より転載)

 この頃までに、閔妃は独特の鋭いカンを働かせて夫を観察し、かなり深く彼の性格を理解していたのではないか。国王である高宗は、当然ながら大院君の上座についてはいるが、常に絶対の権力者である父を憚(はばか)り、その顔色をうかがう習性を身につけていた。高宗の気の弱さは生まれつきのものであったが、王位についてからの彼は決断という意志をほとんど失っていた。《王には、頼りになる相談相手が必要なのだ》と、閔妃は気づいたのであろう。
 閔妃は、王の寵愛(ちょうあい)を受ける日が必ず来ることを信じていたと思われる。自尊心、自負心の強さも、彼女の特色の一つである。
 《いつの日か王の寵愛を受ける時、私は王の相談相手にならねばならない》との思いは、不遇時代の閔妃を支える太い柱ではなかったか。《その時が来るまでに、私はどのような話題にもしっかりした意見を述べる実力を身につけておかねばならない。やがては話し相手の役を越え、王にかわって万事に決断を下すことも出来る実力を。そのためにはまず勉学に励み、男をしのぐ知識を持たねばならない》
 後年の閔妃は「頭脳明晰、学識抜群」といわれたが、その学識は王にかえりみられなかったこの時代の勉学の賜物(たまもの)ではなかったか。
 勉学一筋に”その時”を待とうという決意に支えられて、閔妃は王の寵を受ける側室たちへの嫉妬(しっと)を見事に押えきった、と想像される。《遊びの対象にすぎない側室たちに、王のまともな話が務まるはずがない。それが出来るのは私だけだ》と思えば、閔妃は彼女たちを冷然と見下すことも出来たのであろう。

 この心境に至るまでの閔妃は、嫉妬の激情の制御に苦しんだと想像される。王妃となる前から、彼女は王の周囲に多くの女たちがいることを常識として知っていた。側室のいない王などが、かってあっただろうか。側室は王室の制度として存在しているのだ。
 しかし閔妃には誤算があった。王妃となった彼女は、側室を含む王宮のすべての女たちの上に君臨するものと思っていた。王の寵愛が時に側室に注がれても、王妃はそれを寛大に見過ごしていなければならない、と覚悟していた。
 しかし現実は違っていた。王妃とは、人形のような飾りものにすぎない。毎日のように何かの儀式があり、王妃は王と共に出席することも多く、周囲からは丁重に扱われた。だが飾りの終った人形はおもちゃ箱に放(ほう)りこまれて、誰からも一顧も与えられない。夜の王宮では、側室の誰かが王妃よりも重要な存在となる。
 王が夜の時間をどこで過すかは、王の一存で決まることであった。それに対して口をさしはさむ者はなく、まして「たまには王妃の許(もと)へ」などと言う側近はいない。それが出来る人物があるといえば大院君であろうが、国事に没頭している彼は閔妃のことなど考えてもみなかった。
 閔妃はじっと耐えるほかはない。両班(ヤンバン)など上流階級には、嫁を離別する理由として認められる七つの条件がある。「婚家の両親に従順に仕えない」を第一として、「子を産まない」「嫉妬する」「みだらである」などがそこに挙げられる重大な欠点である。両班階級でも、こうした女は嫁の資格がないとされた。まして国母である閔妃が嫉妬めいたことや、王の気をひくようなはしたない言葉を口にするなど、絶対に許されることではなかった。
 閔妃は王妃の誇りにかけて、王の夜の訪れのないことなど全く気にかけていない態度をとり続けた。無用と知りながら、彼女は夜化粧を怠ったことはない。もしそれをやめれば、宮女たちは王妃の悲しみをかいま見た思いで、あわれみや同情をよせるであろう。それは侮(あなど)りに通じる、と閔妃には思われた。彼女は娘時代から、孤児という境遇に同情を示されることさえ嫌(きら)いだった。
 宮女たちが退出した後、閔妃は化粧したばかりの顔を鏡に向けて自分に話しかける。人に心を開くことのない彼女の相談相手は、自分以外にはない。王宮とは闘争の世界だ、と見きわめている閔妃は、夜ごとの鏡の前の自問自答で、その闘争に勝ちぬく手段を検討する。こうして彼女は勉学に励む決意をかためた、と私には想像される。※)

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