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2019年04月12日05:56

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閔妃(ミンピ)暗殺(朝鮮王朝末期の国母)角田房子著 新潮文庫ー29

(※は本文より転載)

閔妃、忍耐の日々

 (高宗五年<一八六八年>閔妃の王宮生活は三年目を迎える。景福宮の完成も間近、という大院君や王の喜びが王宮内の雰囲気にも反映して、宮女たちもどこか浮き浮きとしていた。その中で、古参の女官などによる王妃教育もすでに終った閔妃は、いつも静かな微笑をたたえて、しきたりの難しい日々の務めを落ち度なく果していた。
 どの資料も、この時期の高宗はほとんど閔妃をかえりみなかった、と記している。しかし閔妃は夫の両親である大院君夫妻によく仕え、周囲への思いやりも深い王妃として、評判は上々であった。またこの頃の閔妃が異常なほどの熱意で読書にふけったこと、彼女が特に愛読したのは『春秋』と『左伝』であったことも、多くの資料が語っている。
 『春秋』は魯(ろ)の史官の手に成り、孔子が筆を加えたという紀元前七二二年から二百四十二年間にわたる春秋時代の歴史書、『左伝』は左氏によるその注釈書である。周が衰え、諸侯は互いに併合を事として戦争が絶えなかったという。弱肉強食の時代がくわしく書かれている。『春秋左伝』は、日本では八代将軍吉宗の下で経綸(けいりん:治国済民の方策)を行なった儒者荻生徂徠(おぎゅうそらい)が、門下生や友人に広く推挙した史書で、のちに陸奥宗光(むつむねみつ)や福沢諭吉の愛読書でもあった。
 閔妃が少女時代から学問好きであったことは、大院君夫人の王妃推薦の言葉からもわかる。しかし空閨(くうけい)を守るこの時代の閔妃が、なぜ女性の教養書とはほど遠い『春秋』や『左伝』を選んで精読したのであろうか。単に彼女は読書という趣味に没頭することで、王にかえりみられない淋(さび)しさをまぎらそうとしたのか。私にはそうは思われない。

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