(※は本文より転載)
やがて”願納金”も下火になり、資金ぐりが苦しくなってきた矢先、建設現場で火事が起こり、仮小屋八百余と貴重な資材のすべてが焼失した。関係者一同が挫折(ざせつ)感にひしがれる中で、大院君はひるむ色も見せず、ますます募金体制を強化していった。
しかし、もう”願納金”ではまかなえないことは明らかであった。大院君は田税を引きあげ、ソウル都城門(トソンムン)を出入りする人に通門税をかけるなど、庶民の生活を圧迫する税は次第に重くなった。さらに彼は、実価二十分の一にすぎない”当百銭(タンベクチョン)”という新貨幣を鋳造して国費に当てたため、物価の急上昇を招いた。これに対して庶民の不満がつのると、清国から銭貨を輸入して通用させたが、このような姑息な策で経済の混乱が収まるはずもなかった。
大院君に対する非難の声が高まった。このときも季景夏に命じて厳しく取り締まらせたが、「大院君を退位させよ」という声まで出た。それでも彼はひるまず、ひたすら工事の完成を急がせた。※)
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