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2019年04月10日07:46

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閔妃(ミンピ)暗殺(朝鮮王朝末期の国母)角田房子著 新潮文庫ー28

(※は本文より転載)

大院君の独裁政治

 (一八六六年は他国から数度に及ぶ武力的脅迫を受け、その撃退に忙殺された年でであったが、前年から始められた景福宮再建工事は休みなく続けられていた。
 景福宮は季氏朝鮮王朝を創建した季成桂によって一三九五年に完成したが、豊臣秀吉の侵略戦で焼失した後は廃墟(はいきょ)のまま放置されていた。第二十三代の王純祖の末期、摂政(せっしょう)であった世子翼宗(追尊)が再建を計画したが、具体化する前に死去した。その子、第二十四代の王憲宗は、金氏一族の勢道(セド)政治の時代であり、王室の権威の象徴である王宮を再建する権力も財力もなかった。
 大院君は趙大王大妃の同意のもとに、周囲の反対を押し切って、この大土木工事に着手した。高宗は翼宗の後継者として王位についたいきさつがあり、翼宗の遺志を継ぐ景福宮再建事業の遂行は、王室の権威を天下に誇示すると同時に、高宗を強く印象づける効果もあった。
 大院君には終始一貫した政治的信念があった。それは長年の勢道政治下に弱体化した王室の権威を高め、中央集権的な君主制の再強化によって国内体制を整えて、王朝の対内、対外の危機を乗りきろうという固い決意であった。勢道政治の根絶も、人事の改革による人材登用も、不徳官吏の粛清も、鎖国攘夷(じょうい)策による天主教(キリスト教)弾圧や外敵反撃も、そして初めから大困難が予想される景福宮再建も、すべて彼の政治的信念に裏づけられた”鉄の意志”によるものである。
 景福宮再建の財源はまず”願納金(ウオンナプクム)”の寄進を求めることから始まり、その代償として官爵が与えられた。これは人々の名誉心をかきたて、”願納金”は予想以上の金額に達した。
 工事の進行につれて、各地から膨大な数の労務者が”庶民自来”と書いた旗のぼりを立てて連日ソウルに流れこんできた。”自来”ではなく、徴発された人々であったが、都監本部は彼らの労働意欲向上のために舞童隊、農楽隊、演芸団などを組織して、各工事現場をまわらせた。大院君の発案ではなかったろうか。
 「アリラン」は、誰でも知っている韓国の代表的な民謡である。”閔妃”に関心を持つ前の私でさえ、この歌なら知っていた。
 「アリラン」は景福宮再建のときに生まれた歌との説がある。この大土木工事に動員された農民が苦しい労働を恨んで歌い始めたともいわれ、大院君が自分で作詞して彼らに歌わせた、とも伝えられる。
 元来、朝鮮の民謡は一つの基本的メロデイーがあって、それに応じた即興の歌詞をつけて歌われてきた、という。あるものはすぐに消え、あるものは長い命を保って遠い地方まで伝わり、さまざまに変化しながら歌いつがれてきたらしい。景福宮の工事場で働く人々が遠い家郷の妻を恋い、夫の帰りを待つ妻のやるせない心を推測しているうちに、より素朴(そぼく)な、野趣に富んだものに変化していったかもしれない。「アリラン」のメロディーはそれ以前からあったとしても、今日に伝わる歌詞のいくつかは景福宮再建と縁があったらしい。


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