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2019年04月04日04:19

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閔妃(ミンピ)暗殺(朝鮮王朝末期の国母)角田房子著 新潮文庫ー23

(※は本文より転載)

”閔妃”とは、当然ながら王妃となった後の名で、明成皇后(ミョンソンファンフ)とは死後に贈られた称号である。
 私は彼女のフルネームを探したが、簡単にわかると思ったその名前はついにわからずじまいであった。(中略)
 朝鮮では、現代の韓国も同じだが、男も女も生まれた時に、父系によってさかのぼる氏族の一員として位置づけられ、女は結婚しても父の姓のままで生涯(しょうがい)変更されることはない。この”父系社会”で王妃も例外ではなく、”金妃(キンピ)””韓妃(ハンピ)”というように実父の姓だけで記録され、名前は伝わらない。これが他の国の歴史上有名な女性なら、閔妃より古い時代でも、頼朝の妻は政子、ルイ十六世の妃はマリー・アントワネットと、調べるまでもなく名前がわかるのだが、韓国ではそうはいかない。
 李氏朝鮮王朝の歴史を見ると、”閔妃”と呼ばれた王妃は四人である。前述の二人と本編の主人公である高宗の妃、さらにその実子の純宗(スンジョン)の妃も閔氏一族の出である。しかしいま、”閔妃”といえば、波乱万丈(はらんばんじょう)の生涯を送って非業(ひごう)の死を遂げた高宗の妃だけを指す呼び名となっている。

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