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2019年04月02日07:34

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閔妃(ミンピ)暗殺(朝鮮王朝末期の国母)角田房子著 新潮文庫ー21

(※は本文より転載)

 大院君が王妃となる女性に求める条件は、摂政である彼の権勢に従順で政治に関与しないこと、また父や兄など血縁の近い親族の中に勢道政治に野心を抱くような有力者がいないこと、であった。したがって、従来の王妃選定で生家の重要条件であった名門、巨族、勢力家などは大院君の好まないものであった。
 しかし王妃となる女性が、どんな家の娘でも構わないというわけにはいかなかった。やはり王室はじめ、一般国民をも納得させる基本的条件は具(そな)えていなければならない。それを具えた上で、なお大院君の求める条件を満たす女性を選び出すことは、至難のわざであった。多数の候補者が挙げられたが、王妃の選定は難航した。
 
 大院君がいらだちの色を見せはじめたころ、彼に次いで王妃決定に強い決定権を持つ大院君夫人が、彼女の生家である誉興閔氏(ヨフンミンシ)一族の娘を推薦した。閔致禄(ミンチロク)の一人娘だが、八歳で両親を失った孤児である。
 朝鮮には、現代の韓国にも、日本のように一人娘に養子を迎えて家を嗣(つ)がせる習慣はない。男子がなければ同族から後継者を迎えて、その家の娘は他家へ嫁ぐのである。男の子のいない閔致禄の家では、同族の閔致久(ミンチク)の二男である升鍋(スンホ)を迎えて家系を嗣がせた。その閔升鍋が大院君夫人の兄であった。
 「閔」という姓の本貫(ポングワン)は「ヨフン」一つだけである。したがって、閔姓の人はみんなヨフン閔氏で同族である。この一門は、第三代の王太宗の元敬(ウオンギャン)王后、第十九代王粛宗(スクジョン)の仁顕(インヒョン)王后と、二人の王妃を出した名門であり、かっては数人が高位の官職についてもいる。しかし今は一家中に権力者はおらず、財力もなかった。

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