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2019年03月27日07:54

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閔妃(ミンピ)暗殺(朝鮮王朝末期の国母)角田房子著 新潮文庫ー16

(※は本文より転載)

 簾の外の人々の動揺をよそに、趙大王大妃はためらいなく事を運んでいった。直筆のハングル文字(朝鮮の国字)による教書で、新王となる命福に”翼成君(イクソンゲン)”の爵位を与え、彼女の夫であった翼宗(追尊)の後継者に仕立てた。これは命福が先王哲宗の直嗣でないことを明示する王室章典上の措置で、これによって、三代にわたって一門から王妃を出した金氏は、勢道(セド)政治を続ける基盤を崩されたことになる。
 朝議が終ろうとするとき、金氏一族の代表者である金左根が初めて質問を発した。
「新王は何歳であられますか」
 このとき命福は満十一歳であった。しかし彼の年齢など、今さら問題ではない。命福が王位につくことは、すでに揺ぎない確かさで決定していた。
 李命福は、のちに閔妃の夫となる人である。
電撃的な新王決定は趙大王大妃の果断な採決によるものだが、その背景には、金氏一門の政治の腐敗に対す上下各層の全国的な不満、憎悪があった。金氏以外の元老や重臣の間で是応の”根まわし”が効果を挙げたのも、この背景によるものであった。
 このときの金氏一族は、いかにもうかつであった。彼らは是応の暗躍に全く気づかず、趙大王大妃の一存で新王が決定することになっても、また先王哲宗のように文字も読めない王族の子弟が選ばれるとタカをくくっていた。六十余年の勢道政治に馴れ、大家族主義の勢力の上にあぐらをかいていた油断が命とりとなった。
 命福指名の直後、彼に”翼成君”の爵位を与え、翼宗の後継者とした趙大王大妃の手ぎわは見事であった。新王選定のため重臣たちを集めたのは哲宗逝去(せいきょ)の直後だが、この時になって短時間のうちに趙大王大妃がこうした策を考え出したとは思わない。かねてから、この時に備えて充分に練り上げてあった策であろう。これもまた、是応が女官などを介して趙大王大妃に提案してあったものか。いずれにせよ、命福が新王に選ばれたことで大衝撃を受けた金氏一門は、さらに新王と先王哲宗とを切り離されたことで追い打ちをかけられた。※)

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