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2018年12月26日08:13

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ボブ・マーリイ・デイ資料ー3

4、数週間は外来患者として通ううちに、ボブは病状についてのしつこい地元の報道にうんざりして、スローン・ケタリングの忠告も無視してマイアミのレバノン・ホスピタルに移り、それから映画俳優スティーブ・マッキーンが入院したが命は救えなかったメキシコのガン・クリニックにもいったが、そのあとでスローン・ケタリングに戻った。どの医者の診断もおなじだった。年内をもちこたえるのさえむつかしいだろう。1980年11月4日、十二部族に気づかれないうちにリタとボブはエチオピア聖教会の洗礼を受けた。洗礼名はバーヘーン・セラシエで、彼はクリスチャン・ラスタになったのである。(363p)

5、ジャマイカの外科医、カール・フレイザー博士は12部族ラスタに信望があって“ピー・ウイー”と呼ばれていたが、彼はジョゼフ・イセルズ博士という72歳のドイツの医師の治療をボブに勧めた。治療不可能な、あるいは致命的なガンの専門家である。そこで(80年)11月にボブはオーストリア国境近く、バヴァリア地方の山裾にある小さな町、ロタッハ・エゲルンにあるイセルズ博士の病院に移されることになった。
 《ボブの食事は穀物と繊維質で、そこに酵素と特別のバクテリアが加えられたが、これは不必要な細菌を除去する助けとなり、薬草のお茶は腫瘍の有害な排泄物を取り除くのに役立つ。それと少量の無機塩類と、選ばれたビタミンが与えられた。感染部、炎症を起こした扁桃腺と腐敗して死んだ歯は、体の免疫の自然な働きを阻害するのでとり除かれた。ラスタが摂取しない大部分のものは、偶然にも、イセルズ博士の献立でもタブーだった。イセルズ博士の療法はこのほかに薬品と精神療法を含んでいる。酸素を多く吸入する方法がとられ、酸素とオゾンが酸素を注入した血液の輸血で注射されたが、それがガン細胞を弱くすると信じられていた。》(366p)

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