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2018年11月15日05:20

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我が町ー5−3 世田谷区深沢ー3 ジャー・ヒロ

高校時代はバイクに凝っていた。悪友はライラック、僕は昌和クルーザー。どれももう存在しないメーカーの幻のバイク。そもそも最初に二人が乗り始めたのは本田が戦後初めて製作したごつい自転車にモーターがついてチェーンで後輪が回るというバイクの原型のような代物で、その頃入手したバイクはすべて葛飾の方にあった、通称、ポンコツ屋(車やバイクの解体屋)で見つけた物だった。というわけで最初の自転車バイクは確か3000円。それを二人で金を出し合って買った。それで校庭を走った。それが情けないことに、元々切れていたチェーンを小さなボルトとナットでつないだだけだから、グランドを半周するとチェーンが切れ、そのつど修理するという情けない暴走だった。どだい廃車になったバイクだから順調に走るわけがない。自分であちこち直しながら乗った。どこが悪いか本能的に嗅ぎつけて、そこを直した。だいたいは電気系統に問題があったから、プラグを外して掃除したり、配電盤のポイントを磨いたりした。それでも動かない時は蹴飛ばした。金のない高校時代だったから、タイヤやガソリンを盗んだりしたこともあった。だから後に自分のバイクが盗まれた時もあまり腹が立たなかった。盗み盗まれ、人生はそういうものと思っていた。それでも悪友の方は役者が上で、盗んだバイクを乗り回し、一緒に遠乗りした時、途中で動かなくなったバイクを道路の真ん中に捨てて、僕の後ろに乗って帰るような奴だった。それでも仲良く伊豆半島に一泊二日のツーリングに行き、雨の中野営して焚き火に苦労したのを思い出す。何しても火がつかず、とうとう癇癪おこしてガソリンを撒いたら、一瞬燃え上がったが自分達の髪の毛を燃やしただけで火は起きなかったなあ。そんなお馬鹿な思い出でいっぱいのツーリングだった。

バイクの免許は、高校時代に、地道に階段を一段ずつ上がるように取っていった。最初に原付一種(50cc)そして二種(125cc)軽自動(250cc)と鮫洲の運転免許試験場が一発で取った。それもバイクに乗ってバイクの免許を取りに行く、というインチキだったけど。最後に取った自動二輪(限定なし)は小金井の試験場だった気がする。当時は高校生が免許を取得するのは稀で、来ていたのはオヤジばっかりだった。試験を待っている間、オヤジたちが、ハーレーのコピー・バイク、陸王の話題で盛り上がっていたのを覚えている。陸王は、走行時、安定していて、座席シートで立ちあがるなんてことも可能だと力説していた。そんなハーレーが日本を走る前の時代の話なんだなあ、と今更のように思う。だいたい最初乗ったバイク、クルーザーには方向指示器なんてものはなく(多分)、免許の際も右に曲がる時には左手のひじから先を上にあげる、左に曲がる時には左手を左に水平に伸ばすなんて教えていた。今思って最高だったのは、当時はヘルメットをかぶる必要がなかったこと。バイクはほんの一部のマニアのもので事故もさほどではなく、野放し状態だった。だからヘルメットが法律で義務づけられたり、話は違うが、車のシート・ベルトが義務づけられたりした時には、僕なんかは、不平たらたらで腹を立てながら従った。

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