ここんところ、休日やテレワークの日は朝方に近所を散歩している。
なにしろ、連日、猛暑だからねえ。
日中に外に出たりしたら、コロナがなくとも身体に毒だ。
エアコンをガンガン効かせたお家にこもっているに限る。
とはいえ、一日中こもりっぱなしというのも身体に毒だ。
なので、日差しがそんなにきつくない早朝のうちにあちこち歩いて回るに限るわけだ。
今朝もそうやってひとときを過ごしたよ。
散歩から帰ってシャワーを浴びて。ネコのまりんがうにゃんと鳴いておねだりするので、一緒にウッドデッキに出て柔軟体操をした。
週末の朝はこうでなくちゃいけねえって感じの爽やかな朝だった。
僕が朝の散歩で愛用している小径にはそこかしこに真夏の象徴のような花が咲いている。
ちっさいのから
でっかいのまで様々だ。
まさに昔流行った歌そのもの。
といっても、おいらは誰かに会いたいからひまわりの小径を歩いているわけじゃないけどね。人影がまばらなのでマスクをしないで気持ちよく歩けるからだ。
チェリッシュ/ひまわりの小径 (1972年)
https://www.youtube.com/watch?v=P_xrDrYgzHA
チェリッシュといえば「てんとう虫のサンバ」。おいらが披露宴に呼ばれることが多かった時代に新婦のお友達が「てんとう虫のサンバ」をしょっちゅう歌ったものだから耳にこびりついている。
同世代にはそういう人が多いんじゃないかと思うけど。
実は「ひまわりの小径」の方がシングルレコードの売上は多かったし、そもそもチェリッシュってのはこういうあんまりうまくいかない恋の歌の方が多かったグループだと思う。
グループというか、デユオと呼んだ方がいいのかな。「ひまわりの小径」のジャケットにはイラストで悦ちゃんの後ろに陰気な4人の男が描かれているけれど、悦ちゃんはそのうちの一人とデユオを組んで新生チェリッシュになってこの歌をヒットさせたんでね。
とにかく、披露宴の定番ソングを歌う人たちのイメージはまだなかったので、このCMソングにも起用されたのではないか。
チェリッシュ「マイルド・ウォッカ」
https://www.youtube.com/watch?v=fUNfC4NRGSY
しかし、うまくいかない恋にひまわりはあんまり似つかわしくはないと思う。
やっぱ、こういう明るい歌の方がひまわり的なのではないか。
伊藤咲子/ひまわり娘 (1974年16歳デビュー当時)
https://www.youtube.com/watch?v=gbVAHD2ZotM
もっとも、「ひまわり娘」でデビューした伊藤咲子はなんだったかの色恋沙汰でアイドルとして立ち行かなくなっちゃったんじゃなかったかな。
どうもひまわりって花はそういう暗い影がさす話が多いなあ。
代表的なのはこれだろう。
ひまわり テーマ曲
https://www.youtube.com/watch?v=2O6-LLRdwmQ
僕自身はこの一大悲恋映画は見てないんだけどね。
いしかわじゅんの漫画を読んでいる。
それにはこういうシーンが出てくるんだよ。
知ってる人は知ってるよという説明があり
小夏ちゃん、感動
ひまわりが大事だという解説をしてくれる。
ちなみに「吉祥寺キャットウォーク」に出てくるこのヤクザ者も「ひまわり」のことは知らないが
東映映画や石井輝夫(後記:石井輝男)のことはよく知っている。
つまり、作者のいしかわじゅんは両方のファンということだ。
ソフィア・ローレンと石井輝夫(後記:石井輝男)という一見すると水と油みたいな者たちの間には、共通して人を惹きつけるナニかがあるのかもしれない。
見ていなくともあらましは知っている映画ということでは、本屋大賞の次点になった小説を原作とする「キミスイ」もある。
これの主題歌が「ひまわり」なんだよ、ミスチルね。
君の膵臓をたべたい Mr.Children 「himawari」
https://www.youtube.com/watch?v=kp8i3nUqo7o
映像の最後でちょっと泣けた。 見てみようかな。 僕が見るのはアニメ版だけどね。
ひまわりをモチーフにした映画で僕自身が見たことがあるのは、なんといってもこれだ。
イスラエル映画「レバノン」。
日本ではシアターN渋谷という今はなくなってしまった館だけが全国で唯一上映した。
そこで見た。
これはねえ、凄い映画だよ。
戦争というリアルを塊りにして目の前に突き付けられたような感覚だった。
まあ、僕がくだくだ説明するよりも百聞は一見に如かずだと思うな。
ヴェネチアで金獅子賞を取ったりしてるので、ソフトは出回っていると思うし、そんなに長い映画でもないから。
ひまわりの小説もあるよ。
僕はイオリンが好きでね。キャッチコピーが謳っているように「テロリストのパラソル」をしのいだとまでは思わないけれど、読み応えがあったのはたしかだ。
なんで小説のタイトルが「ひまわりの祝祭」なのかというと、ヴァン・ゴッホのひまわりをめぐる物語だからだ。
僕は実物を拝んだことはないけれど、数奇な運命を辿ったオランダの画家がひまわりの絵を何点も描いたことは社会的常識の範疇として知っている。
僕はそれよりも、あるときから画家の名前の表記の仕方に影響を受けた。
今はオランダ風に「ファン」と表記するみたいだけれど、ちょっと前まではヴァンが主流だったと思う。
それがなにかというと、楽聖の名前のことなんだよ。
日本ではみんながベートーヴェンという。
でも、米国の漫画の登場人物は常にヴァン・ベートーヴェンと呼んでいた。
僕はそれに感化されてね。ゴッホじゃなくてヴァン・ゴッホって呼ぶならば、シュローダーみたいにヴァン・ベートーヴェンと呼ばなくちゃおかしいじゃないかと思って、それを踏襲しているんだよ。
今のところ、同じ呼び方をしてる人にぶつかったためしはないんだけどね。
それにしても、ヴァン・ゴッホはなぜああもひまわりに執着したのか。
単にきれいな花だったからだけだとは思えない。
もしかしたら、あの黄色におかしな具合に魅入られたのではないか。
いや、ガストン・ルルーの「黄色い部屋の秘密」じゃないけどさ。 まっ黄色ってのは、なんかこう人の気持ちを不安にさせる要素をはらんでいるような気がするんでね。
なんでそんなことを思うかというとだね。僕はでっかいひまわりの一群を見ていると、とあるキャラクターを思い出しちゃうことがあるんだよ。
このキャラクターだ。
その名をサイコ・ジェニー。永井豪の「デビルマン」にけっこうキモの役柄で出てくる。
ん−ん、いかんなあ、なんだか変な方向に走ってる。
もともと、僕が日記の題材にひまわりを選んだのは、朝の散歩の折々で見かける明るい花であること。
それにオリンピックの表彰に添えられる明るい花だからだ。
エヴァンゲリヲン的な神経質な世界の象徴として出したかったからじゃない。
浦和駅は明るいひまわりのポスターで満載だ。
会津旅行がそうだし
サマージャンボ宝くじもそうだ。
ここで明るいひまわりそのものの物語を紡ぎ出す人物を出してやろうじゃないか。
わたせせいぞうだ。「ハートカクテル」の9巻だ。
そこに収録されているVol.183が「ひまわりの日傘」だ。
そして、よつばちゃんがいる。
第1巻の表紙からしてひまわりづくしだし
フラワージャンボはひまわりだったらよそには負けねえし
ひまわりを持てば夏の妖精なのだ。
ふう、よかった。ひまわり的に明るく〆ることができた。
最後にこれまたなつかしいひまわりの歌を。
さんふらわあの唄
https://www.youtube.com/watch?v=KBPFonzIDBA
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