トンビに油揚げをさらわれるということわざがある。
これは自分のお気に入りをやっと手に入れたので、しめしめと舌なめずりした途端に、横合いからそいつをかっさわれることを指しているそうだ。
ことほどさように油揚げは昔からみんなが好きな食物だったのだろう。
今だってそうだ。
うちとこのカミさんの手になると、なんの変哲もない油揚げがなんだかお洒落なイタリアン料理に変じる。
そのカミさんがポンポンの調子をちょっとおかしくしちゃってね。 いや、たいしたことはないんだけどさ。 お粥と梅干を常食にしているもんだから。
僕はこのところ、カミさんが冴えない食事を終えて居間を引き上げた後、油揚げをソーセージと一緒にフライパンで焼いたりしてボッチで食ってる。
ああ、ボッチじゃなかった、もちろん、まりんと共にだ。
幸いなことに今週はテレワーク週なんでね。僕は朝から晩まで家にいる。
で、所定の業務時間中は自分の部屋でパソコンとにらめっこしてるわけだけど。
始業前にカミさんの代わりに内科の診察の整理番号をもらいにいったり、ゴミ出ししたり洗濯したり。 休憩時間にレトルトお粥やらアクエリやらの買い出しに出たり、いろいろ出来るわけだ。
カミさん曰く
ホームワーカーがいてよかったわあ
そんなことで日中に点数を稼いで、カミさんが引き上げた後の夕餉はおいらの天下だ。
ソーセージやら卵やらを焼いて皿に盛る。別の皿にチキンと野菜を盛る。
まりんがくんくんする。
翌日はソーセージ焼きをグレードアップさせてキャベツも一緒にやっつけた。
えっ、いつも横に赤ワインのボトルが見えるぞって?
そりゃあ、夕餉のお供にしたのがこれだったからだ。プロージット!
ちなみに、このプロージットは別の作品で第三帝国の人らもスパークリングワインでやってた。
グラスを干したあと、床に叩きつける作法も一緒だった。エイメン
ということで、ここんところ僕が夕餉のお供にしている作品はこれだ。
銀河英雄伝説、略して銀英伝。僕はこいつが好きでねえ。
こなた共和国軍の不敗の魔術師、かなた帝国軍の常勝の天才。
二人の主人公が対照的なキャラ立てで、それでも二人とも魅力的なのはもちろんだけど。
なんというか、組織には優秀なのもいればダメなのもいる、地頭は悪いのに家柄だとかプレゼン上手のせいで出世しているのもいれば、地味だけど立派なのもいる。 そういう現実のサラリーマン社会をデフォルメしたようなエピソードが多い。
それにアドルフが築いた帝国もさることながら、民主的なはずの共和国の様子がね、なんだか現実の政治状況をそらんじているような気がするんだよ。
これまた、他の作品を引用すると。
世の中には戦争なしでは生きていけない人種もいる。
それはこないだの大統領選で、ムチャクチャなことを言って実際にやってる候補に半分近い人が票を入れたことでもわかるように
こういうイカれた戦争マニアだけのことではなくて
普段はごく普通に生活している人たちかもしれないみたいなね。
こういう風に僕がハマった銀英伝には「Die Neue These」というドイツ語のサブタイトルがついている。直訳すると、新しい論文。新訳ぐらいにとっておけばよいのだろう。
要するに、リメイクだ。
そして、リメイクの宿命というものなのだろう。評判はあんまり芳しくなかったようだ。
オリジナルは1980年代の終わりから2000年まで10年以上に渡って続いた長大な物語。 それだけ続いたってことは多くのファンがついたということだ。
僕みたいに「Die Neue These」から入った者は今さらオリジナルを見ても。
うーん、ヴァン・ベートーベンとかのクラシック音楽をBGMに使ったとこなんかはエレガントで買えるけど。リメイク版の方がクオリティーが高くていいと思うけどなあ。
なんだけど。
リアルタイムで興奮した人たちは思い入れが違う。
そうすると、リメイク版の粗が目につくのだろう。
最近のアニメでリメイクが成功した代表例は赤塚不二夫生誕80周年企画として作られた六つ子の話だろう。
僕なりに成功した要因をあげてみると。
一つめはキャラクターはオリジナルと同じながら設定を思い切りブラックにしたこと。
二つめはベースになった赤塚不二夫作品はもともとそういうブラックジョークの世界だったので、21世紀の新編と親和性があったこと。
三つめはブラック仕立てにすることで男の視聴者を吸引する一方で、六つ子にイケメン・イケボの声優をあてることで女子人気が爆発したこと。
そして、四つめのこれも案外大きかったと思うんだけど、オリジナルの昔の漫画やテレビ漫画のファンの中には今どきのアニメをフォローしている人はほとんどいない。 したがって、オリジナルと比較してリメイクの粗をどうこう言う層がもともといないこと。
その「おそ松さん」に比べると、一般的な知名度は落ちるけど。 あしたのジョー生誕(連載開始)50周年記念として企画されたこいつはある意味もっと顕著な成功例かもしれない。
というのも、六つ子の話と違って矢吹丈の物語は今の若いのにも浸透し続けている。
そういうファン層を唸らせたからだ。もちろん、僕も唸ったよ。
丈に力石、拳キチのおっちゃんに白木葉子、ドヤ街のガキ連を彷彿させる登場人物たちの近未来を舞台にした物語。そこではメガロボックスというマシーンを駆使した殴り合いが人気になっている。オリジナルにはなかった八百長なんかのファクターも取り入れてね。
オリジナルをリスペクトしつつきっちり成果を出した上出来の作品だった。
実写の世界でもリメイクがオリジナルを上回るのは至難の業だ。
アニメよりも難しいといえよう。
アニメの場合は「おそ松さん」のようにファンが世代交代しているケースが多いので、リメイク版が出ても抵抗勢力はあまり多くない。
しかし、実写版の場合は半世紀前の作品が未だに厳然として存在している。 なにしろ、今から半世紀前ってのは1950年代から60年代の映画の黄金時代だからね。
当時作られた多くの作品が未だにテレビで放映されたり、映画館で上映されたり、ネットに乗ったりしている。
そういう中でリメイクの企画が出るということは、オリジナルは往年のヒット作や名作だろうから、リアルタイムで見たオールドファンやソフトかなんかで見たヤングなファンが間違いなく付いている。
したがってリメイク版を出したら、オリジナルの方が断然いい、だいたいあの名場面を変えるとはなにごとだ云云かんぬんが絶対出てくるのは目に見えている。
まずアニメと実写のメザニンということで、米日の特撮もの取り上げると。
キングコングは絶叫美女を取り替えながら何回もリメイクされているが
複葉機が飛び交う時代に作られたオリジナルを超える作品が出たという話を聞いたことがない。
唯一、髑髏島だけはやけに面白いというウワサを耳にしているので、いずれ見ねばと思っているんだけど、オリジナルとは別物のストーリーでリメイクにはあたらないようだ。
一方、ゴジラについては
初代はオキシジェンデストロイヤーで完全消滅した。 なので、続編は作れない、作るとしたらリメイクしかないはずだったんだけど。
山根博士が最後に To be continuedだぜい
と宣言して
実際、その後、陸続として二代目三代目が出没した。 それらが海中なり地中なりから出現すると、人々は指指しながら恐怖に震える声でゴジラだ
と叫んだ。
つまり大半のゴジラものは初代のリメイクでなくて、続きもの、シリーズものだった。
そういう中でも、世の中にゴジラという名称が存在しない未知の生物としてあの怪獣が出現する一種のリメイクはある。 僕が知る限りでは二つある。
ひとつは1998年ハリウッド版GODZILLA。 まあ、最初にやられた日本の漁船の人がゴジラと口走るので、日本人にとっては既知の存在だったようなんだけど。舞台となる米国では未知の存在だったので、疑似リメイクといっていえなくはない。
で、まあ、モンスター映画としてはそれなりの出来だったと思うけど。 僕みたいなゴジラファンにとっては、なんじゃこりゃあ!ジュラシックパークなのかあ!こんなトカゲのでかいのはゴジラじゃない!だった。
そして、リメイクの真打は2016年の夏に東宝から登場した。監督は我らが庵野秀明。
伝説の初代を上回ったかというと、そこまで言い切ることは出来ないけど。 僕にとっては初代に匹敵するインパクトのある傑作だったよ。
で、普通の映画に移ると。
なにしろ、世はマンガの実写版化とテレビドラマの劇場版化と過去作のリメイクの三大安易企画が大流行りだからねえ。
そんなのばっかり作ってると、いつか来た道、斜陽化の道だぞ、日本映画界よとは思うけど。 それはハリウッドも同様だ。 マーベルコミックものとかそういうの。
そんなんで、リメイクものをあげだしたら東西共にキリがないので、比較的うまくいったんじゃないかというのを米日一つだけあげると。
これなんか、よかったよ。
僕はオリジナルはテレビの洋画劇場で見た。 たしか、土曜映画劇場だったと思うので、あんまり大作扱いはされてなかったけど、小気味のいい明るい犯罪映画だった。
なにがよかったって、皆の呼吸がぴったり合ってた。
それもそのはず、シナトラ一家勢ぞろいのキャストだったんでね。
1の子分がディーン・マーティンで、2の子分がサミー・デーヴィス.Jr。。
一方、リメイク版もこれでもかっていうくらいのオールスターキャストでノリがよかった。 ただ、僕は最後まで見てないんだけどね。
というのも、あれはカミさんたちと沖縄に旅行に行った帰りの便の中で見たんだけどさ。 いよいよ、もうすぐラストというところで、飛行機が着陸態勢に入って、放映がブッチされちまったんだよ。
そして、和ものではこれがある。
僕は東宝のオリジナルは何回も見てるくらい感銘を受けているんだけど、この夏にアマプラで松竹のリメイク版も見てみてね。 予想外といってはなんだけど、けっこう健闘した出来栄えだったんだよ。
まあ、どうしてもね、僕の場合は思い入れが入っている分、オリジナルに軍配をあげるんだけど、リメイクから入ってオリジナルを後から見た人は違う感想を持つかもしれない。
両者を比較すると、時代の変遷を映しているところもあると思うので、気の付いた点をあげてみると。
僕がオリジナルに軍配を上げる理由は主にこの2点だ。
ひとつは盟友のろまさんがかつて喝破したことなんだけど。 ドラマの中心の阿南陸相がね、オリジナルの三船敏郎が武人そのものなのに対して、リメイクの役所広司は家族との交流シーンなんかが多いヒューマニストなだよ。
まあ、これは好みの問題なんだけど。僕のイメージの陸相は武人なんだなあ。
もうひとつはリアルさにおいてオリジナルが勝っているように思う。
なにしろ、オリジナルが作られたのは1967年。 世の中の大半の大人が戦争を直に経験していた時代だ。 その大東亜戦争を終結させるか否かの緊迫したやりとりを描こうってんだから。 出演者はみなまなじりを決していたのがよくわかる。
なんというかねえ、オリジナルの青年将校たちがなにかに憑かれたような顔つきなのに対して、リメイクの彼らはいくら顔をゆがめて叫んでもどうしてもね、演技してるのが見えちゃうところがあった。
もっと有体に言うと、オリジナルは白黒なこともあってドキュメンタリーチックなのに対して、リメイクはカラーなのできれいなんだよ。
それを象徴していたのが青年将校たちの背中だ。彼らは自転車を漕いであちこち走る。
その背中がね、オリジナルは汗が滲んでいたのに対して、リメイクはきれいなままだったんだよ。
一方、リメイクがオリジナルを上回っていたところも、もちろんある。
僕はそれは昭和天皇の出し方だと思う。
あの物語の真の主役は阿南陸相ではなくて天皇だったと思う。
なにしろ、和平派も本土決戦派も国民やら近隣諸国の人らのことは二の次、三の次で目指すものは国体の護持その一点というひでえ話なんでね。
その天皇をスクリーンに出さずば話が成り立つまいなんだけど。
オリジナルの松下幸四郎は帽子や手袋、声だけの出演だった。 これに対して、リメイクはバッチリだしていた。 元木雅弘は熱演だったよ。
女性の扱いも時代の変遷を感じさせた。
オリジナルは女中さんの新珠三千代がちらっと出ただけだったのに対して、リメイクは色んな女優さんが軍部に対抗していた。
まあ、大日本帝国は男がなんでも決めてその結果滅んだので、オリジナルのやり方もありだとは思うけど。 そうはいっても人口の半分は女性だったので、リメイクの方がナチュラルだと思うな。
で、結局は最初の銀英伝に戻るんだけど。 リメイクとオリジナルのどっちを先に見るかで、どっちに思い入れを持つか、どっちを評価するかは変わって来るのだと思う。
例えば、この映画なんかさ。
古い奴だとお思いでしょうが。 あっしは三船敏郎の逆手居合斬りにぶっとんだ者でしてね。 今どきの若い役者にあれが出来るとは思えねえんでござんすよ
で、リメイクは見てない。
一方で、僕は世界のクロサワが干されていた時代、1970年代に映画の楽しさに目覚めた者なんでさ。
当時の主たる映画の摂取ツールだったテレビの映画劇場は洋画一辺倒で、それに思い切り影響を受けた。黒澤明の作品はあの当時テレビではあんまり放映されてなかったと思う。
なので、非国民と謗られるかもしれないけど、この二つは最初に見たリメイクの方が好きなんだよ。
ひとつはハリウッドがリメイクしたこれ。
そして極めつけがイタリアのこれ。もうねえ、中一のお正月に日曜洋画劇場で見たこいつはおいらの映画の趣味を決定づけたといって過言でないのでね。
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