1週間前の日曜日、僕はヲタ仲間と映画館のハシゴをした。
ハシゴの間にインターバルがあったので、近所の日比谷公園を散策した。
お堀端の向こうには帝国劇場や帝国ホテルなどの帝都の名前を冠した建物と並んで日本を代表する会社のビルが連なっていた。
それらを眺めながら、ヲタ仲間の巨乳派が言った。
「東京が首都だって決めた法律はない。皆がそう思っているからそうなだけなんだよ」
僕が応えた。
「お相撲と一緒だな。あれが国技だと決めた法律はない」
うむと巨乳派と総帥が頷いた。
「国技館という名前をあの建物につけた知恵者にみんなたぶらかされてるんだよな」
この水曜日、その自称国技を見学してきたよ。
1111は別に国民の休日ではなかったけど、クニが仕事しすぎるなと言ってるし。
どこかのオッサンも電車の中のポスターでこう吠えてるからね。
年休をとって、カミさんと二人で国技館に行ってきた。
その日は翌日の朝刊の一面トップに久々にコロナの記事が載って、第3波という言葉が飛び交った日だったんだけど。
お相撲はスポーツでなくて神事だとされている。さすがの新コロ菌も神域にはやってこまいということで、夫婦そろい踏みで魔界都市・東京に出張ったのだった。
まあその、今年は地方場所がなくなって東京一極集中場所が続いているのでチケットが取りやすい、11月場所から枡席が一人でなく二人用になったのでちょうどいいやというのが本音だったんだけどね。
その日、僕は「猫と犬たちの詩」という日記をアップして、カミさんは洗濯物をベランダに干して、二人してネコのまりんにしばしの別れを告げて家を後にした。
で、両国駅に着いたわけだけど。
もうねえ、ホームに降りた途端にお相撲ワールド。うわっ、ウルフだあ。
駅を出たら、ストリートはますますお相撲一色。
僕らはまず腹ごしらえをすることにした。
駅からすぐのところに横綱横丁という飲食街がある。
そこには定番のちゃんこ鍋屋さんやらモンゴル料理屋さんやらが軒を連ねていたけど。
僕らはイタリアンに入った。カミさんが両国通のお友達からイチオシされていた店だ。
さすが、通のイチオシの店。美味し。前菜のサラダからして趣向が凝らされてる。
「これ、柿だよな」「うん、オリーブオイル漬けにしてるわね」
メインはランチコースの中の二つ、鱈とボローニャのパスタにして、それぞれを自分の小皿にとり分けて食べた。両方食べてみると、コントラストが効いた味付けだとわかる。
こういうことが出来るのが複数で外食する利点だと思う。 孤独のグルメだとそうはいかないからね。
で、そういうお洒落なランチを楽しみながら二人でお喋りしたのは
例えば、若島津のことだった。
「昔々の大阪時代の駆け出しの頃、取引先のパーティーに若島津に来てもらった」
「覚えてるわ、おじさんたちに大好評だったわね」
カミさんたちは女子会でその若島津が出場する大阪場所を見に行ったそうだ。
1980年代のこと。いつの時代もすも女ってのはいるもんだね。
知ってるかな、大関・若島津。人呼んで、南海の黒豹。
なんだか、わかったようでわからん呼び名だけど、このニックネームは角界だけでなくてプロレス界とK−1界にも存在したので、格闘技好きの琴線に触れるなにかがあるのだろう。
そういう南海の黒豹たちの中で、若島津はもっとも一般的に知られた存在だったのではないかと思う。
なぜなら、あの当時人気抜群だったサッカー漫画の登場人物もその名を使ったからだ。
そして、若島津といえば高田みづえだ。
僕は薩摩通の巨乳派に教えてもらったマメ知識をカミさんに披露した。
「二人とも鹿児島出身なんだぜ」「そういえばそうだったわね」
「高田みづえは鹿児島県人でも聞き取りづらいほどきつい方言のエリアの出身だそうだ」
薩摩弁を標準語に矯正するのに苦労を重ねたであろう昭和のアイドルの代表曲がこれだ。
硝子坂 高田みづえ
https://www.youtube.com/watch?v=BfruJ-My-Ao
そんなことでお相撲話をああだこうだくっちゃべって、この店の名物のプリンをデザートにいただいて、僕らはイタリアンレストランを後にした。
次に僕らが立ち寄ったのは、これまた両国通のお友達がイチオシのお土産屋さんだった。
その名も国技堂。そこでお隣さんに渡すお菓子とかをなんだかんだ買った。
カミさんのプランではその次に相撲博物館を見学するはずだったんだけど。
案内の人に聞いたら、今日は閉館だと。ガビーン
時刻はまだ1時くらい。そりゃあ、すでに取り組みは始まっていて入館できるけど。
通は序二段辺りから見始めて、自分がひいきにする若手を応援するっていうけど。
俺らそういう通じゃないからねえ。
ということで、大通りに戻ったら、矢吹丈のポスターがあった。
そうだ、隅田川があるじゃないか。
ということで、通りの向かい側にあった水上バスのターミナルに行ってみたけど、ちょうどよい時間帯の船はなかった。
しょうがないので、お土産カレーだけ買って。
階段を降りて隅田川の畔に出てみた。
で、川沿いの遊歩道を散策したら、そこかしこに決まり手のシンボルマークが飾ってあったりして、それなりに風情があったけど
なにしろ、川風がきつい。寒い。カミさんが音を上げた。もう会場に入りましょう。
で、1時半ころに僕らは国技館に入ったのだった。
まず、自分らの席を確認した。S席は売り切れだったので、A席ということだったけど、十分、十分、土俵がすぐ近くの好位置だった。 スマホでズームしないで写すとこうなっちゃうけど、実際は間近に感じたよ。
本来は四人用の枡席を二人で使って、足を伸ばせる。佳きかな。
土俵では幕下が対戦していた。湘南之海っていう力士がいたな。
で、僕らは交互にお土産屋さん回りをしたり、若いお相撲さんたちの取り組みを眺めたりしてのんびり過ごした。
ちょうど、村上春樹が描くところの往時の神宮球場の外野席みたいなもんだ。広々としていて気持ちがいいし、気が向けば野球を見ることさえできる。
空調はばっちり、ちょっと寒いくらいだった。 僕らの横の席の若いご夫婦なんか心得たもので毛布を用意していた。
僕はそういう気温の高い低いには鈍感なので上着を脱いだ。 カミさんがそれを膝の上にかけてちょうどよいアンバイになった。
そうこうするうちに十両の土俵入りが始まった。いよいよここからが本番だ。
カミさん曰く
どんなに強い力士でも一番感激するのは十両に上がったときだそうよ。
僕もわかる。いわゆる幕入りってやつで、幕下とは扱いが天と地も違うそうだからね。
行司の装束も変わる。それまでは裸足で軽装だったのが、足袋を履いて立派な装束の出で立ちになるんだよ。
行司には木村と式守の両派がいるんだけど、こないだは木村勢が圧倒的に押してたな。
とにかくその十両土俵入りでは力士が化粧まわしをつける。これが大層なお値段のものなんだ。翌日の新聞にこんな記事が載ったよ。
その苦労人の宇良には大勢のファンがついているのがわかった。今は声援はご法度。代わりに皆さんひいきの力士が土俵にあがるとそのしこ名が入ったタオルを掲げる。
宇良の出番になると、場内のあちこちに宇良タオルが掲げられた。
その期待に応えて宇良はキッチリ勝った。 しかも、僕らが見た翌日にはこんな大技を繰り出して場内を沸かせたそうだ。
そして、中入りがあって。
いよいよ、功成り名成し遂げた者たちの土俵入りが始まった。
僕はお相撲はあんまりあれなので、特にひいきの力士がいるわけでもないんだけど。
カミさんは炎鵬と跳猿をひいきにしていて、応援用のタオルも売店で買っていた。
これはカミさんが跳猿はお尻がしまっていてキュートだというので撮ったもの。
まあ、残念ながら応援タオルむなしく、炎鵬も跳猿も敗けちゃったけどね。
やっぱり生で見る立ち合いは迫力があったよ。
素人目にはあれはガチンコだと思うなあ。
この本によると
かのアンドレ・ザ・ジャイアントもお相撲のテレビ中継を見て、こいつらの強さは並みじゃないと舌を巻いたそうだしね。
ただ、なにしろ長いこと同じ場所に座っていたんでさ。ケツが痛くなっちまった。
で、僕は枡席を出て入り口近くに突っ立って勝負を見ることが多くなった。
しょっちゅう席を立つもんだから、カミさんに呆れられちまったけどね。
また?ウルトラマンみたいに短い間しか持たないわね。
まあ、そういわれても痛いものは痛いのでしょうがない。
たぶん、あれだと思うよ。
かつて僕は同じ様にカミさんがゲットした枡席に四人でギュー詰めになったり。
お相撲好きのえらいさんの接待を一番下っ端で設営して身を縮こませたりした経験があるんだけど、今回ほどにはケツが痛くならなかった。
それは前回は呑んで食ってだったからだと思う。
お花見と一緒でさ。 お相撲観戦も、酒なくてなんで己が桜かなみたいなところがあるからね。
それが今は売店コーナーははあっても、飲食はその場限りで、席に持ち込みは禁止だし。
そもそも売店では焼き鳥とかそういうのは売っていても、アルコールはご法度になっているんだからね。
でも、痛いケツをさすりながらも好勝負は席に戻って鑑賞したよ。
例えばこのお茶漬けのCMの力士が
スポンサーのかけた懸賞金をきっちりごっつあんですしたシーンとかね。
あるいは結びの一番で貴景勝が勝って全勝を守ったのを目撃して。こりゃあ、あのやけに美人のお母さんをもう一回見れるかなと思ったりした。
東の大関貴景勝に対して西の大関、前の場所の覇者の正代は一敗地にまみれてしまったけどね。
あの敗けた瞬間、カミさんも横の席の人もこりゃあ休場だなと声に出した。
右肩だったかが動かないのが見えてたからね。
まあねえ、あのかちんこちんに硬い土俵で連日ガチンコ勝負をやってたら、そりゃあ怪我もするわなあ。
こうして見事な弓取り式も鑑賞して、時刻はちょうど6時前、テレビ放送終了のお時間になった。
僕はこれまで、毎日、放送時間内に収まるなんておかしいだろ、プロレスの60分3本勝負がちょうどぴったり終わるのと同じじゃないかと思っていたけど。
お相撲のあれは呼び出しから行司の待ったなし
まで関係者の一連の阿吽の呼吸が長年かかって磨き上げられてきた一種の伝統芸だね。
なにしろ朝の8時半だかから延々勝負が続いて、ぴたっと6時ちょい前にお開きになる、しかも勝負はガチンコだってんだから、凄い匠の業だと思うよ。
とはいえ、それは真のお開きではなかった。お楽しみはこれからだったのだ。
お客さんが一斉に出ると混雑極まりないことになる。
そこで相撲協会は趣向をこらした。
お楽しみ抽選会を行う。それを正面席、東席、西席、向こう正面席の順番で行う。
それが終わった席のお客さんから帰っていくという寸法だ。
当り席は各々6席。僕らは東席だった。
どこかの親方かなんかが籤の箱に手を入れて引く。当たり番号を司会が読み上げる。
僕らの横の横の席が当たった。
うわあ、もうちょい、惜しかったなあ。でも、くじ引きだから次の確率はどこも一緒よ。
そしたら、まさに次に僕らの席の番号が読み上げられた。
やったあ
いや、それがさ、カミさん思わず立ち上がって雄たけびをあげたもんだからさ。
司会の人から大きな声を出さないでくださいと言われちまった。
僕らは玄関口で親方から商品をもらった。
そのときは撮影禁止と言われてよくわからなかったんだけど。あとでカミさんがチェックしたら、あれはたぶん豪栄道だということだった。
そんなことで、大満足して浦和に帰って。
駅前のヤオコーがちょうど安売りタイムになっていたので総菜を贖って
家に戻ってまりんにご飯をあげて、速攻で抽選の賞品の包みを開いた。
うげっ、大っ嫌いな白鵬の手形だ
というものも含まれていたけど、バスタオルやらトートバッグやら、こりゃあいいやの品々だったよ。
で、僕らはゆったりお風呂に入った後、実に1時から6時までのその日のお相撲中継(4K)の録画のいいところをピックアップして眺めながら。 なにしろ現場を目撃してるので、ピックアップはお手の物だったので。 ピザやらなんやらをパクついた。
で、食後は国技堂で買ったお土産物のお店をテーブルに広げた。
そしたら、まりんがテーブルの上に乗っかてきて、小判型の入浴剤を手でちょんちょんと突っついた。 これぞまさに猫に小判だった。
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