その昔、ダイアン・リネイという金髪の歌手がいた。
といわれても、わからない人が多いと思うけど、このヒット曲を聴けば懐かしい感じが募ってくるよ。
ダイアン・リネイ/ネイビー・ブルー
https://www.youtube.com/watch?v=n5UOj6Kkp3s
レヴィ・ストロースの「悲しき熱帯」辺りが嚆矢だったのだろう。
1960年代は「悲しき」を洋盤の邦題の頭につけるのが流行りだった。
悲しき雨音(カスケーズ)、悲しき街角(デル・シャノン)、悲しきカンガルー(パット・ブーン)、、悲しきばっかり。
なので、「ネイビー・ブルー」もサブタイトルは「悲しき水兵さん」で、日本語カバーのタイトルはこっちが本題になった。
あまつさえ、その後に出たダイアン・リネイのドーナツ盤の邦題はこうなったのだから、1960年代おそるべしだ。
しかし、僕は1970年代の者なので、ネイビーブルーとくればこの陽気な唄が真っ先に思い浮かぶ。
年下の男の子 - キャンディーズ - 1975年 (5th シングル)
https://www.youtube.com/watch?v=ZvpClIzfU54
このたび我が家ではそのネイビーブルーのTシャツを家族4人分誂えた。
このセクシー・ダイナマイト・キャットの写真をプリント地にしてね。
ジャーン
で、先日の日曜日、息子らが家に来たときにお披露目した。大好評だったよ。
まりんも入れて家族5人で記念撮影しまくり。
顔バレしない範囲だとこんなのしかないけど。
で、皆でざるラーメンをパクついた。
たかが、ざるラーメンとバカにしちゃいけない。うちのは具だくさんだからね。
ゆで卵にハムにキノコに天婦羅にチキンに大葉にネギにでね。
これをワイガヤしながら、キンキンに冷えたプレモルと一緒に食したんだからね。
美味かったあ
息子らとは久々に会ったので話題も盛りだくさんだった。
例えば、ウルトラマリンのこととか。
いや、長男が前日の新潟のダート戦でこの馬の単勝に6千円張ったら、見事に当たったんだと。 単勝3.5倍。 あいかわらずおそるべき奴だ。
ウルトラマリンはこないだに続いてダート戦を連破。息子もそれに乗って連破。
もう、このヒーローそのものだよ。
初代ウルトラマンop
https://www.youtube.com/watch?v=zXtC0mX_4T8
このウルトラ作戦第1号では宇宙のお尋ね者ベムラーが秩父辺りの湖に出現する。
で、埼玉県警の連絡を受けて科学特捜隊が出動するわけだ。
これは科特隊が警察組織の一部だから成せる業である。 シン・ゴジラに見られるように、自衛隊だったら鉄砲を撃つまでにはいろんな手続きが必要になるけど、警察はOKなのだ。 そして科特隊はパリに本部がある対怪獣用の特殊警察部隊なのだ。
その長男は先週は夏休みで、群馬に遊びに行ってたんだと。
群馬ってどこだ?と僕が聞いたら、水沼だと。
そこのロッジに男3人、女2人で泊って遊んできたんだと。
男女五人夏物語かい
まあ、僕も同じような年恰好の時分はこのテレビドラマにハマっていたので、えらそうなことは言えないんだけどね。
いつ頃のことかというと、東京湾アクアマリンができる前、木更津ー川崎のフェリーが運航していて、さんまが通勤に使っていた時分だ。
このいかにもバブリーな気分盛り盛りのテーマソング、好きだったなあ。
石井明美 cha cha cha
https://www.youtube.com/watch?v=QsSWsEo0Ssw
それにしても、このコロナの時分に男女でキャンプ遊びかいと、おとんとおかんは目が点になったけど。
次男の方も昨日は仲間と呑んだので二日酔いだという。
二人ともサラリーマンをやってるので、会社の宴会、付き合い酒は皆無になったけど、私生活ではしっかり遊んでいるようだ。
まあねえ、と僕とカミさんは頷いた。 コロナ、コロナといっても若者は致命傷にはならないことがはっきりしつつある。
であれば、自粛しなさいと遊びを全面禁止するのは無理がある。
しかし我々、五十路、六十路の者たちは事情がまったく違う。
経済を回すのは若いのに任せて、俺らは自粛を続けようと決意を新たにしたのだった。
そうはいっても、仙人じゃないので、たまには外で息を抜くことも必要だ。
昨日、僕はもう一つのネコのネイビーブルーTシャツに袖を通すと、あぢすあべばな炎天下に出た。
目指すは浦和PARCO。 そこで盟友のろまさんと待ち合わせていたんでね。 彼と呑むのは3月14日の熱烈中華食堂以来、実に5か月ぶりだ。
カミさんも快く送り出してくれた。
よく今まで我慢できたわね、楽しんできてという感じで。
ただし、新宿や中野は危ないからあかんということだったので、浦和に出向いてもらったわけだ。
くれぐれもハクビシンにはならないでね、この暑い最中に道路でへたりこんでも誰も助けてくれないわよと言う声を背に僕は家を出た。
浦和だったら、サイゼや「力」が僕らの定番だけど、前者は若者、後者はレッズ者が集っているので、今回はやめにした。
代わりにソーシャルディスタンスが行き届いていることをこないだカミさんと一緒に寿司屋で確認済みのPARCOのレストラン街にしたわけだ。
で、約束の13時まで間があるので同じフロアの紀伊國屋をぶらついた。
ショーケースの中を覗いて、ほお、これはいい企画だなと頷いたり
乃木坂ってよく知らんけど、この娘は浦和出身なのか、ひいきにしてやるべと頷いたり
お店の中のマンガコーナーでは、おいらと同学年のりすさん頑張ってるなと頷き、メイドラゴン復活か、京アニ待ってるぜと頷いた。
そうこうするうちに約定の刻限になったので、僕はお店の前に出向いた。
そしたら相変わらずリー・ヴァン・クリーフみたいに黒ずくめの姿のろまさんが現れた。
で、さっそく沖縄料理屋に入って、なにはなくともオリオンビールで乾杯した。
ぼく 「すまんなあ、遠路はるばる来てもらって、好きな料理を頼んでくれよ」
ろま 「とりあえずは海ぶどうとゴーヤチャンプルーがあれば十分だ」
で、群青やらまさひろやらの泡盛をロックでぐびぐび呑んだ。
で、お互いの近況やらなんやらをダベッた。
なんやらってなにかというと、例えば映画のこと。
二人ともアマプラで8月14日から15日にかけての大日本帝国のことをテーマにした東宝の映画を見たんでね。
やっぱり阿南は三船に限るなあとか
それにしてもあの横浜の大尉に召集された学生さんは気の毒だとか
そこから、ろまさんが映画館で最後に見た作品の話になった。
ろまさん曰く
天皇第一の三島と絶対反対の全共闘には唯一の接点があった。 あの討論会の会場になった教養学部900番教室だ。 他はぜんぶ民青に抑えられていた。 対民青という一点で両者は共通していたんだよ。
それにしても、とろまさんは続けた。
記録には赤ん坊を抱いて三島と討論するぼさぼさ頭の学生が出てくる。 あの頃は東大きっての論客といわれたそうだけど。 そのおっさんの今の姿も映画には出てきてさ。 今もあの闘争はそこにあるのなんのの言いざまを聞いて、俺のあの世代ギライに拍車がかかったよ。
まあ、ろまさんは僕に輪をかけた全共闘世代ギライなんでね。
そんなことあんなことを楽しくダベっているうちに飲み放題の2時間はあっという間に過ぎたので、河岸を変えた。
で、そこの名物の具なし焼きそばをパクつきながら、ビールやポン酒を呑んで。
楽しいひとときを過ごしたのだった。
なので、こういう楽しい気分のときのテーマソングで締めたい。
1970年代の日本のポップス界は二つの傑作アルバムを生んだ。 もちろん、他にもいろいろあるけど、僕にとってのツートップだ。
一つはりりィのライブアルバムで、もう一つが南沙織のファーストアルバム。
そのA面は17才で始まり、この曲が最後に来る。
沖縄料理屋にちなんだ歌っつったら、こいつで決まりだ。
「潮風のメロディ(MV)」南沙織
https://www.youtube.com/watch?v=4wi_w6LixCU
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