かつて阪神梅田駅地下に土産物屋が軒を連ねるコーナーがあった。
土産物といっても地元の大阪モノではない。
北は北海道から南は九州、沖縄まで全国各地の土産物店がずらり。
人呼んでアリバイ横丁。
そこに行けば、おいら旅行に行ってきたぜというエビデンスをゲットできるのだ。
僕は世の中にはそういうニーズがあることを身をもって知っている。
自分自身の体験じゃないよ。 親父のことだ。
親父には相棒がいた。 仕事の上でも盟友関係を結んでいたようだけど、なんといっても真価を発揮したのは遊びのときだ。
呑むとき、麻雀するとき、その他なにするときでも常につるんでいた。
よく覚えているのは親父の葬儀のときのことだ。その人も当然参列してくれたんだけど。
ふと、その人が会場の片隅に佇んでいる後姿が目に入った。
人はこんなにも寂しい背中を見せるものなのか
心底そう思ったんでね。
アリバイ・ニーズはその人に絡むことなんだよ。
あるとき、親父がその相棒と台湾に遊びに行くことになった。
で、空港だか、駅だかで待ち合わせたら。。
相手が女の人と連れ立ってきた。 で、すまんと手を合わせた。
こいつと旅行に行くと言う。
親父は皆まで言うなと頷いて、単身、台湾に飛び立ち、相手の分までお土産を買って帰った。 相棒はそのお土産を奥さんに渡して、万事めでたしで終わったという。
親父が亡くなった後、お袋から聞かされた思い出話でね。
ひえー、あのときの台湾行はそうだったのか、だったよ。
で、昭和ならではのエピソードだと思ったわけだけど。
今どきもそういうニーズは健在なのかもしれないとつい最近考え直した。
というのも、東京駅構内に似たようなコンセプトのコーナーがあることを目の当たりにしたからだ。
その名はエキュート京葉ストリート。
この月曜に職場をちょいと抜け出してそこに行ってきた。
そしたら、萩の月があるではないか。 かのユーミンも絶賛したという仙台のお土産菓子NO.1だ。 おいおいだったよ。
なんでそんなエリアに出向いたかというと。
もちろん、カミさん向けのアリバイ作りのためじゃないよ。
当の彼女からの指令によるものだ。
そこのイベントコーナーにサニーヒルズが期間限定でショップを出したんでね。
サニーヒルズというのは台湾のパイナップルケーキ屋さん。
かの国はこのお菓子を名産品としている。中でもここのケーキは群を抜いて美味い。
台湾通のカミさんは大ファンなんだよ。 で、指令が出たわけだ。
アップルケーキも出てるそうだから一緒に買ってきてちょうだい。
で、今週の我が家の食後のデザートはサニーヒルズで決まりだったわけだ。
パイナップルケーキはもちろんのこと
アップルケーキもいけたよ。
サニー、サニーでヒア・カムズ・ザ・サンだったのだ。
先日、マイミクさんに教えてもらったんだけど。
ミューヨークやデトロイトの医療施設で、コロナの患者さんが退院したり回復したりすると、ビートルズのこれが流れるそうだよ。
The Beatles - Here Comes The Sun (2019 Mix)
https://www.youtube.com/watch?v=KQetemT1sWc
昨日はカミさんが仕事番なので、夕飯は自己調達の日だった。
で、サニー料理を作ったよ。
目玉焼きというと、ゲゲゲのオヤジみたいになるけど
サニーサイドアップと形容すればぐんとイメージがよくなる。
そのサニーをソーセージやアルパカワインと一緒に賞味しながら鑑賞したのは、昔懐かしいこれだった。 7話まで一気見してしまった。
サニーサイドアップというミュージシャンもいる。
知ってるかなあ、サニサイ。
僕が京都に単身赴任していた2000年前後、地元じゃ知られたインディーズだった。
女一人に男二人のバンドでね、街角のあちこちで歌っている姿を見かけたよ。
その後、消えたのかと思っていたんだけど。 今、チェックしてみたら、当時の愛称だった”sanisai”でメジャーデビューして健在に活動してくれていた。
かつて、この唄を地元でよく聴いたもんだよ。
〜京都慕情〜 sanisai
https://www.youtube.com/watch?v=VxVpkLD-jEc
このようにサニーというのは明るいイメージを喚起させるニックネームだ。
その効果を狙ったのだろう、日本では千葉ちゃんの愛称で知られていた俳優が米国では”サニー千葉”の名前で売り出された。 で、人気者になった。
1950〜60年代が三船敏郎、80年代が松田優作、90年代が北野武、2000年代が渡辺謙。。
日本映画界が生んだ国際派俳優の代表格としてこれらのネームをあげれば、大方から異論は出ないと思う。
そして、70年代は”Sonny Chiba”だった。
僕はこの人の空手映画は見たことがないので、リアルタイム当時はそういう認識がなかったんだけど、これらのハリウッドの大立者がこぞって絶賛している。
魔法使いサニーもいる。
今のアニメ界は女性の主人公が当たり前になっている。
しかし、1960年代の勃興期はそうではなかった。
マンガの神様は当初、アトムを女の子として描こうとしたが、それではアンバイがよくないと少年ロボに描き直した。その残滓がケツの機関砲である。
その後、少女が主人公のマンガを登場させはしたが、彼女らは少年の姿に偽装していた。
そのほかの作品は少年忍者に狼少年、少年探偵金田正太郎と少年、少年だった。
そうした中で、少女が主人公の少女のためのアニメを作ろうじゃないかプロジェクトが始動した。
スタッフが目をつけたのは、巨匠横山光輝がりぼんに連載していた少女マンガだった。
その名は魔法使いサニー
サニーの弟がカブ、いいじゃないか
まあ、諸般の事情で女の子の名前はサリーに変えられて、カブだけそのままになったんだけど。
こうして、日本の誇るストックキャラクター魔法少女のプロトタイプが誕生したわけだ。
僕はこのアニメの主題歌が好きでね。
実にこうディキシーランドジャズの味わいがある昭和の名曲だと思うよ。
魔法使いサリー1966_op
https://www.youtube.com/watch?v=0F0xAFaJApk
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