なしごれん上等兵 帝都での前線勤務より帰還 埼玉での後方勤務に従事します。
いやあ、今週は毎朝露営の歌(の替え歌)を斉唱しながら浦和駅まで行進したよ。
買ってくるぞと板橋区 清く貧しく葛飾区 手柄たてずに新宿区 ♪
進軍ラッパ聞くたびに まぶたに浮かぶ さいたま市 ♪
失礼しました
まあ、とにかく久しぶりで出勤してきた。
出勤初日の月曜の新聞はどんな意図があったのか、讀賣だけがこの観測記事を一面トップ記事にして
出勤最後の金曜はうちの幹部も卓を囲んでましたで猛省の朝日がこれをトップ記事にしていた。
まあ、僕はこの件に関してはご老人の健康麻雀でもあるまいし、そりゃあ、卓を囲むときは誰だってなにがしかのアレはするよなということで、そのこと自体を責めるつもりはないけど。。この濃厚接触やめて
の時期にときの人がハイヤー付きでそりゃないっしょとしか言いようがない。
それよりも問題はこっちの二つだと思う。
一つはもちろんアベくんのことだ。 法務省があげてきたから承認しただけだって、そりゃないっしょ。 あれだけなんだかんだ言われたのに、法律を曲げて読んで「官邸の門番」の定年を延長したんだから。 さすがにそれがなにか?は通らないっしょ。
もう一つは産経はまあ産経なのでどうでもいいけど。 天下の朝日新聞がお詫びをひとこと言っただけですますわけにはいかないっしょということ。 毎月雀卓を囲んでいたという幹部社員を徹底的に取材して記事にしないと、日頃言ってることとやってることがグチャグチャだよ。
ということはまあ、この辺にしといて。 3週間ぶりに乗った通勤電車は高崎線にはそこそこに人が乗っていたけど。山手線はガラ空きだった。
都心のオフィス街も閑散としていた。
しかも僕には強い味方がいた。義母さんが送ってくれた手作りマスクだ。
知り合いが期限切れなのでくれたというお仕立券付きワイシャツの高級生地を使用。
薄いので熱がこもらない。
さらに茶色の紐はパンストのゴムを使用。 やわらかい。 耳が痛くならない。
メガネ者にとって困るのは、マスクをすると紐と弦がダブルでのしかかってくる耳が痛くなること。
ちょいの間ならいいけど、仕事場ではずっとマスクをしっぱなしなんでね。
それなのにまったく痛くならない。
夏向きメガネ向きのスグレものマスクなんだよ。
ああ、マスクの隣のヲタクな絵柄付きの銀の筒は麦茶を入れる水筒ね。 昔、次男が使っていたののおあがり。
しかし3週間ぶりの外界はやはりそれなりに変わっていた。
例えば日経新聞だ。うちでは宅配の毎日新聞しか見てなかったんだけど。
それまで毎日の楽しみにしていた新聞小説「太陽の門」のリックはあれだけ銃を再びとるのをいやがってたのに。すでに共和国派の義勇兵になっていた。スペイン内戦ね。
でもそれはまあ、想定されたことだったけど。
もっとびっくりしたのは「私の履歴書」だ。5月は岸恵子ではないか。
このコーナーの常連の財界のお偉いさんのは大半が功成り名成し遂げた自慢話なのであんまり面白くないんだけど。 女優さんのは面白いのが多い。
浅丘ルリ子とか有馬稲子とか。 二人とも蔵原惟繕やら市川崑やらの映画監督との色恋沙汰を紙面にぶっちゃけたりしてね。
しかも岸恵子といえば文筆家としても名高い人ではないか。
そういう色んなことがあった出勤当番も昨日で無事に終わった。 明後日からはまたテレワーク。 今日から引きこもりの日々の再開だ。
そのためのウォッカもある。いざとなったらおてての消毒にも使えそうな度数である。
ベラルーシの人の言うことを真に受けたわけではないが
岸恵子もクレムリンでゴチになったと私の履歴書に綴っている。
しかしウォッカといえば蒸留酒の代表選手の一つだけど、日頃はあんまり縁がない。
同じ蒸留酒でも焼酎は晩飯のお供としてこのウェブサイト並みにお馴染みだ。
ラムで思い出深いのは馴染みのスナックのカウンターで勧められて、世界で十何番目かに強い酒のロンリコをショットグラスでかっと煽ったときだ。喉が燃えるようだった。
ジンはボンベイサファイアのファンだった時期がある。冷凍庫でキンキンに冷やしたのをやっぱりショットグラスでいただいた。
あまり知られてないことだけど − なにしろボンベイサファイア自体がビーフィーターやゴードンなどに比べるとマイナーなブランドなので − このジンは世界最大のラム酒メーカーのグループが作ってるんだよね。
で、ウォッカなんだけど。 それらに比べると、ストレートやロックで呑んだ場面の記憶が乏しい。
しかし、ウォッカはジンより強い酒らしい。
なので、この牝馬の名前の由来になった。
父はダービー馬のタニノギムレット。ジンベースのカクテルに由来する馬名だ。
ウォッカは父より強い娘になってほしいという願いを込めてジンより強い酒にちなんで命名されたという。
その願いは叶った。
雄馬のレースの印象が強かったダービーで史上3頭め、戦後では初めて牝馬の身で優勝。
父ギムレットは故障のためにそのダービーでの優勝を最後に引退したが、娘ウォッカはその後も天皇賞などを制して、最後は世界の名馬、名騎手が集結するジャパン・カップでも優勝。 史上最強の牝馬の名を欲しいままにした。
僕自身、電撃的な引退のニュースを聞いて、mixiに「最強の牝の引退に寄せて」という日記をアップしたもんだ。2010年3月のこと。
ウォッカはそういう強い酒なので、呑めば覚えていそうなもんなんだけど。
記憶にあるのはポーランドのズブロッカだけ。
横浜に住んでいた頃、近所に世界の銘酒をそろえている酒屋があったので、そこで買ってきて自宅で呑んだ。バイソンのラベルが目を引いたんでね。
イエモンがズブロッカでは消せないと唄ってるのを知ったのはその後だった。
THE YELLOW MONKEY – 聖なる海とサンシャイン
https://www.youtube.com/watch?v=eLVCZGXYdiw
ロシアもののウォッカはそうだなあ、たぶん仙台で呑んだと思う。
スパシーボ?マトリューシカ?それに類した名前のロシアンバーがあってね。
マスター一人だけ、カウンターだけの小さな店で美味いロシア料理を出してくれた。
ジャズ喫茶スイングも入っていた一番町の路地裏のおんぼろビル。そこの地階にあった。
仙台を離れた後、そのビルそのものが無くなってしまったので、記憶が曖昧なんだけど。
そこで呑んだとしたら − 食事をしたのはたしかなので呑んだにきまってる − 呑んだのはウォッカしかありえない。
一方、ウォッカベースのカクテルには色んな場面で遭遇した。
例えばブラッディ・マリーだ。
村上春樹はマティーニなどと違って素人が作った出来合いのものでもそこそこイケるので飛行機で注文するのに適しているとしているけど。
僕はいっとき2軒目3軒目で入ったバーで注文するのを習いにしていた。
渡哲也のカゴメトマトジュースCMの影響によるものだ。
お酒を飲んだ翌朝は♪というCMソングをバックに風呂上がりで白いタオルだけのガイが赤いジュースを飲み干す。
僕は思ったね。そうか、ついに人類が長年探し求めてきた宿題の答えが出たのか。二日酔いに効くのはトマトジュースなのであるか。
であればウォッカをトマジューで割った飲料も酔い覚ましによいであろうとハシゴ酒にしたのだった。
おバカそのものであるが、酔っぱらっているのでしょうがないのだ。
そして自分で呑んだことはないが、強烈な印象を持つのがウォッカ・マティーニ。
もちろん、ジェイムズ・ボンドだ。
この英国人のくせに紅茶党でなく珈琲党の秘密情報部員はロンドン・ドライ・ジンでなく敵陣営のウォッカベースのマティーニを好んだ。
超ドライなマティーニを愛するあまり、ヴェルモットの瓶を眺めながら生のジンをグビっとやったと伝えられるウインストンが聞いたら、怒髪天を衝く振る舞いであるが
バーテンにウォッカ・マティーニ、ステアでなくシェイクでとぶっきら棒にオーダーするのは役者が誰に変わってもボンド映画のお約束のシーンだ。
そのテーマ曲。
https://www.youtube.com/watch?v=-kyoc5feseQ
イアン・フレミングの小説ではウォッカとヴェルモットの比率やらオリーブを入れる入れないやら細かい注文をつけていたような気がするけどよく覚えてない。
しかし、なぜウォッカなのかということについては、そういうことに詳しいバーテンさんに教えてもらったことがある。
バーテン曰く なぜウォッカなのかというと、ジンは匂いがきついからだ。
稀代の女たらしはキスするときに備えてウオッカを選んだのであろう。
まあ、ウォッカもジンもアル中の象徴のような飲み物なのでどっちもどっちのような気もするが。ロシア人はやけに酒に強いらしい。
かつて東北地方で営業をしていたとき、秋田の人に宴席でおらが県はパーヘッドの日本酒消費量が日本一なのだと自慢されたことがあるが。
ロシア人はそういうレベルではないようだ。 彼ら彼女らは肝臓のアルコール分解能力が凄まじいらしい。
サライネス女史がこれらの著作で述べている。
ロシア人は酒に酔わない。
もちろん何事にも例外はある。
柔道家の皇帝の時代がやけに長く続いているので、人々の記憶から薄れているきらいはあるが。 前の大統領の人などを思い出すと、酔っ払いの例もあるとは思う。
いずれにしろ、僕はロシア人の肝臓は持ち合わせていない普通の日本人なので、65度ものアルコールはカクテル用か万が一の手洗い用に大事にとっておくことにしよう。
ロック用なら梅酒(ホワイトリカー35度)も焼酎(麦25度)もあることだしね。
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