古今東西、どこの国の映画にも共通している習わしがある。
当たり前のこと過ぎてなにを今さらと言われるかもしれないが。
それは自分の国を舞台とすることだ。
例えばやくざ者の物語ひとつとっても、アメリカはシカゴやニューヨーク
フランスはパリやマルセイユ
ニッポンは広島や呉を舞台にした映画を作った。
それは主に言語の問題に起因していると思われる。
吹き出しのセリフがカタカナのときは外国語なのだ
という昭和の漫画が多用した便利なルールは映画では使えない。
仁義なきシリーズに出演した多くの俳優たちにとって広島弁を身につけるのは難儀なことだったとは思うが、そうはいっても英語や仏語に比べればどうってことはなかったのではないか。
そうでなくて異国の地を舞台にした映画も勿論各国にあるが、それらの多くは自分の国の人を主人公にしていた。
アフリカの都市を舞台にしても、ペペ・ル・モコは仏人でリックは米国人。
中近東を舞台にしても、ロレンスは英国人で
猿の惑星を舞台にしてすら、主人公(名前忘れた)は米国人だった。
それはたぶん、お客のシンパシーに訴えやすいからであろう。
どこの国の映画屋さんもまずホームグラウンドでの客受けを狙うからね。
そういう中で画期的だったのはアニメ界の神、押井守師が作った実写版であろう。
舞台は日本でないどこかの異国の近未来で、その異国感を出すためにキャストはヒロインを始めとしてポーランド人で固めて、ポーランドで長期ロケして、全員ポーランド語を喋らせた。
あれが英語だったらまったくサマにならなかった。
僕みたいなマルドメですら、英語ならば断片的に単語ぐらいは聞き分ける。
しかし、ポーランド語を解する人は日本にはあんまりいない。
なので、作品の狙い自体は当たったと思うし玄人筋には受けたけど、興行的にはコケた。
そういう映画界の掟を破った旋風が1960年代のヨーロッパで巻き起こった。
今はそうでもない感もかなりあるが、かつては西部劇は米国人の心の故郷だった。
日本人における時代劇に相当する。
それを異国の民のイタリア人が西ドイツ人やスペイン人と組んで作った。
それが一大ブームになったのだから、当時の映画界では驚天動地の出来事だったであろうことは想像に難くない。
ドイツ在住のとあるマイミクさんによると、英国国教会の島国が生んだジェイムズ・ボンドがのしているのに対抗すべく、カソリックの大陸諸国が連合してぶち上げたのがこの欧州製西部劇だという説があるそうだ。
その欧州大陸勢には地の利があった。メキシコのかつての宗主国スペインの存在だ。
スペインと組めば、そこの荒野をロケ地にしてメキシコの物語が作れる。
同じラテンの血を引くイタリア人がスクリーンに大挙登場しても違和感は薄い。
しかも、メキシカンの言語であるスペイン語はイタリア語に似ている(ように思う)。
なので、ガンマンたちがイタ語をしゃべっても違和感は薄い(ように思う)。
少なくとも、侍が英語を喋るような具合にはならない。
なので、イタリアン・ウェスタンは本家と違って、カウボーイや北米先住民族の人らはほとんど出てこないメヒコな物語が主流になった。
本家の米国ではスパゲッティー・ウェスタンと呼ばれて亜流のゲテモノ、論評するに値せずと蔑まれたようであるが
我が日本ではかの淀川長治が名付けたと伝えられるマカロニ・ウェスタンという名称が広く伝播し、本国以上ではないかというくらい爆発的なブームになった。
細くて長いスパゲッティーでなくて、太くて短いマカロニ。
この第一次マカロニ・ブームは燎原の火のごとく映画界を席巻したものの、数年後には泡のように消えた。。 かにみえた。
僕自身はその当時、まだ小学生でウルトラマンやゴジラに夢中になっていたので、なんか大人たちが騒いでるなという程度の認識だった。
しかし、再びマカロニが復活した1970年代の中学生時代にハマった。
当時、テレビの洋画劇場で第二次マカロニ・ブームが勃発して、僕はその渦のど真ん中に飛び込んだ格好だった。
なにしろマカロニは60年代の第一次ブーム時に雨後の筍のように作られまくって、日本で公開されまくった。それがテレビの電波に乗るようになった70年代の第二次ブームのピーク時には、週に一本はどこかの局の洋画劇場がマカロニを放送していたといっても過言ではない。
60年代当時は日本未公開だった作品も「夕陽の用心棒」なんていう滅茶苦茶なタイトルで放映された。面白かったので問題ないけど。
そういう第一次も第二次もマカロニ・ブームの嚆矢となった作品はこれだった。
ただし、第一次ブームの端緒となった頃はメリケン映画にしとかないとアンバイがよくないという判断があったのだろう。
主役に米国の人気テレビシリーズ・ローハイドに出ていた若いのを引っ張ってきて
監督はセルジオ・レオーネというイタリア名前を伏せて、ボブ・ロバートソンなんていうとってつけたような名前でクレジットされて
悪役のジャン・マリア・ヴォロンテもジョン・ウェルズという偽名を名乗った。
さらにはハリウッドでさえ「荒野の七人」で西部劇への翻案の前例を作っていた世界に冠たるクロサワの時代劇の真似っこをシナリオにすることで、ますますイタリア色を薄くした。
米国産の映画に錯覚させる偽装工作がふんだんに取り込まれたと思うわけだ。
この「荒野の用心棒」が世紀の大ヒット作として日曜洋画劇場で放映されて、「現金に手を出すな」が持っていた洋画の視聴率記録を塗り替えたのが1971年のお正月のこと。
第二次マカロニブームが始まったこの日、中一だった僕もテレビの画面にくぎ付けになった。 決めのシーンのたびに膝が震えた。
以来、マカロニ・ウェスタンが放映されるたびに期末試験の前夜だろうがなんだろうがテレビの前に陣取る日々を送ったわけだ。
そういうマカロニの申し子だけに、アマプラでハリウッドの新作を見ていたら、懐かしいフランコ・ネロが出てきたので、うれしくなってmixi日記で紹介したら
とあるマイミクさんが1月31日からアレがリバイバル上映されるぜと教えてくれた。
アレを大スクリーンで拝める。続・荒野の用心棒。ミネㇽヴァ
で、今週初めの日曜日の8時に起床して ネコに朝ご飯をあげて、トイレを掃除して
朝シャンして まだ寝床にいるカミさんに新宿で映画見てくると声をかけて
チャリンコこいで浦和駅に出て 湘南新宿ラインで新宿駅に出て
中央東口から新宿武蔵野館の通路に出て、「音楽」のポスターを眺めながら地上に出て
三丁目に出て EJアニメシアターで先日見た作品のポスターを眺めて
そのアニメ専門館の上の階にあるシネマート新宿に着いたのは9時過ぎだった。
上映開始時刻は10:00、余裕のよっちゃんだった。
で、そのシネマート新宿のロビーがもうねえ、あれを見ただけでも出かけてきた甲斐があったよ。
映画本体はまあ、知ってる人はよく知ってるし、知らない人はこれから見ることはあんまりないと思うので。 ロビーの写真でもって本編の紹介に替えたい。
まず、エレベーターのドアが開くといきなりドでかいポスター。横には展示物。
奥にもポスター。
続・荒野の用心棒って、実に様々なポスターがあったんだなという趣向になっていて
一番奥にはTシャツ販売コーナーまであった。
でも、肝心のジャンゴのシャツはソールドアウトで
マカロニ史上類をみないほど魅力のない爬虫類みたいな悪玉のボスと
そいつに対抗する野卑なメキシコのボスと
ゲスな神父が耳を削がれるシーンのプリント地じゃあねえ
売れ残るのは当たり前だと思う。
スチール写真もふんだんに飾られていたよ。これを見ればおおむねどういう話かわかる。
まあ、かんたんにいうと。
こういうKKKみたいな奴らを
フランコ・ネロ演じるジャンゴが西部劇の掟破りの機関砲でギタギタにして
よく知らない女優さんとちょっとあって
最後はこうやって締める映画だ。
売店でははこういう飲み物も販売されていた。
僕は普段は映画を見るときは水断ちを自己ルールにしている。 寄る年波なので尿意は天敵。 ポップコーンを頬張りながらコーラをがぶ飲みする若いのを信じられない思いで眺めるのが常なんだけど。
ジャンゴ・ダニエルズが200円と言われちゃあねえということで、一杯もらったら。
こういうちっさいグラスに盛ったテネシー・ウイスキーのストレートだった。
ちなみにグラスの後ろにいるのは忠犬ジャン公というマスコットで、こういうポスターにもなっている。
ちなみにちなみに、よく知られているようにマカロニウェスタン界では「続」という言葉にまったく意味はない。
しいていえば、前作とはまったく関係ないけど、一応主演は一緒だよというケースはある。続・夕陽のガンマン、続・荒野の1ドル銀貨がこの系列だ。
しかし、続・さすらいの一匹狼に至っては主演まで違っていた。
続・荒野の用心棒も一緒。たぶん一番徹底して邦題の正編の真逆をいっていた。
主演は正編の荒野の用心棒の米国人とは別人28号のイタリア人。
本名がフランチェスコ・クレメンテ・ジュゼッペ・スパラネロ(Francesco Clemente Giuseppe Sparanero)にして芸名がフランコ・ネロ。
監督は正編と同じセルジオでも、レオーネに唯一並ぶ巨峰(と僕は思っている)のコルブッチ。荒野の用心棒が作られた以前からイタリアン・ウェスタンを撮っていた斯界のパイオニアだ。
音楽も違う。
かなた後にイタリア映画音楽界の大御所となるエンニオ・モリコーネに対して、こなたアルゼンチンからやってきたルイス・エンリケ・バカロフだ。
まあ、聴いてくれよ、アミーゴ。ゴキゲンなサウンドだぜ。新宿の朝にもこのロッキー・ロバーツの歌声が鳴り響いたんだぜ。
続・荒野の用心棒 .Django
https://www.youtube.com/watch?v=ll11Mab5WDQ
さらに正と続ではそもそもの設定が真逆だ。
新宿リバイバルのことを教えてくれたマイミクさんの指摘を得て、僕はなるほど
と膝をポンと打ったよ。
両方ともどっかからやってきたガンスリンガーの話だけど。
正編のジョーがふらりとやってきた風来坊の流れ者だったのに対して、続編のジャンゴは亡き妻が眠る故郷に還ってきた地元の者なんだよ。
これはギターを持った渡り鳥とフーテンの寅さんが違うくらい違うのだ、たぶん。 両方とも見てないのでたぶんなんだけど。
正と続の唯一の共通項はスタジオセットだと思う。
これまた別のマイミクさんに教えてもらった受け売りなんだけど。
あの砂塵が吹きすさぶ街並みと泥んこまみれの街並みはスペインにあった同じセットを基にしたものだそうなんだ。
言われてみると、あの酒場は同じセットのように見える。酒場のオヤジはこれまた真逆の扱いになったけどね。
さてこの日記、ここまででも畢竟の長話だったけど。 次もあるんだよ。
ここまで読んできてくれたマイミクさんたち、もうちっとつきあって。
普通の映画は自分の国を舞台にする。 マカロニ・ウェスタンはそういう映画界の掟破りの鬼っ子だった。
ただし、それは実写の世界でのことだ。
アニメーション界はもうちっと自由度が高い。
なぜなら言語の問題が壁にならない。
アニメの舞台が異国の地で主人公もその土地の者なのに観客の国の言葉をしゃべっても、人は違和感を持たないものなのだ。
なので、米国人はおとぎ話のアラビアンが中近東で活躍する物語を作り
日本人は米国の特殊部隊の大尉が欧州やアフリカで敵を追う物語を作り
フランス人は19世紀ロシアの少女が北極を目指す物語を作った。
こないだ、自分史の中にそういう異国の物語がまた一つ加わった。
ときは先月末の火曜日。場所は恵比寿ガーデンシネマ。
冷たい雨の降るその日、僕はヲタ仲間の総帥と二人してがたがた震えながらおしゃれな映画館を目指した。
鑑賞したのはカナダ人の書いた原作を基にして
アイルランド人が作ったアフガニスタンの物語というとんでもない作品だった。
邦題はオリジナルからザをとったブレッドウイナー。
舞台はカブール。アレクサンダー大王やチンギス・ハーンなど古から幾多の征服者が現れてそのたびに民が辛酸をなめさせられた地。
そして、原作が書かれた当時の支配者はタリバン。
そこで生きる少女の物語。カナディアンのカの字もアイリッシュのアの字もない世界。
まいった。
タリバンが女性差別主義者の集団だということは知識として知ってはいたけど、とんでもない理不尽の嵐。
女は男連れでないと外に出てはいけない、買い物もままならない。
それでも人は生きていかなくてはいけないというしんどい話。
でもそのしんどさを乗り越えると、山の斜面の家々など
スクリーンに映る風景に郷愁を感じるようになり、感動がじわじわ湧いてくる。
そういう作品だ。
僕がどのくらい感銘を受けたかというとパンフレットを買った。
僕はよほどの出来でないとパンフは買わない。
去年は1年通じて何十作も見た中でパンフを買うほど感極まったのは二作だけだった。
それが今年は年初早々に三作買っちまった当たり年だ。
と言っても説得力に欠けると思うので、サヘル・ローズに助太刀してもらう。
このイラン出身の美人さんのことは知っている人が多いと思う。
しかし、来歴はどうか。 僕がこないだNHKのこの料理番組を見て知った彼女の半生はハードそのものだ。
イライラ戦争で両親、兄弟姉妹をすべて亡くして孤児になり。 後に養母となる人に救われて現地の孤児院に入るもいろいろあり。 家族の反対を押し切って勘当までされて養子縁組をしてくれた養母さんと来日。
しかし日本でもいろいろあって、公園で生活するまでに至り。 それでもなんとかなって今はその養母さんと二人で穏やかな暮らしを営む。
そのサヘル・ローズがブレッド・ウイナーをイチオシしているんだよ。
続・荒野の用心棒は好き嫌いが分かれるし、そもそも半世紀も前の映画なので関係者の大半は鬼籍に入ってしまっている。 なのでまあ、見ていない人にお薦めするのもなんなのな映画だけど。
一方、現代の作品、ブレッドウイナーは老若男女どなたでも入っていけるし、この日本ではやけにマイナーな扱いなので、少しでも世に広めたい。
今はまだ東京、横浜、名古屋、大阪などのアートシアター系で上映されているに過ぎないけど、それ以外のところにお住まいの方の街にもやってきたり、ソフトになって手に取れるようになったら、試しに見てみることをお薦めするよ。
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