黄金の夏休みはあっという間に終わり
今週からまた労働の日々が再開した。
朝はローソンの冷コーで人心地つけて
昼は新聞を並べて眺めながらローソンのおにぎりをパクつく日々。
そして通勤電車の日々だ。
僕は毎朝、浦和駅から電車に乗る。
乗るのは高崎/宇都宮線だ。
この線は上野駅止まりがずっと続いていたんだけど、ちょっと前に東海道線と相互乗り入れした。 人呼んで上野東京ライン。
なので東京駅まで直通で行けるようになった。 上野ー東京はちょいの間の区間とはいえ、僕みたいな都心に通う者にとってこの差はでかい。 おかげさまで通勤が大分楽になった。
もっとも、こういう風に感じているのは我々埼玉県民サイドだけであろう。
東京駅の向こう側の神奈川県民にとっては上野や赤羽に用はない。
いわんやその先のサイタマやグンマをや
そのわりに線路が延びた分、雨風雪やら人身事故やらのために電車が遅延することが多くなって迷惑この上ないと思っているに違いない。
違いないというか、僕は実際、藤沢や茅ケ崎に住んでいる知人から面と向かってそう言われたことがある。 カミさんは平塚の友達から言われたそうだ。
もうねえ、埼玉県民はその辺の草でも食ってろ
の雰囲気がビンビン。やれやれ
これでも俺らは埼玉県民どころか東京都民さえも風下に見る気合いの入った神奈川県民だったこともあるんだけどね。 神奈川を制する者は全国を制す
でも今はまったく土地勘がなくなっている。 上野東京ラインの車中でよく見かけるこのハイセンスだけど意味不明なモノトーンはマンションの広告なのだろうと思っていた。
で、さっきチェックしたら、藤沢のショッピングモールなんだってね。
でもまあ、何言われようと、西の施設の広告がチンプンカンプンだろうと、便利になるのはありがたいことだ。
それに湘南(ってどこの街や?)と越谷にキャンパスを擁するこの大学なんかは上野東京ラインに広告を出す最適な存在、両県の架け橋的な存在と言えよう。 よく知らない学校だけど。
ということで、僕は上野東京ラインで東京駅に着くと、エスカレーターで通路に降りて
この老舗の果物屋さんが出してるお菓子屋さんの前を通って
エスカレーターで別のホームに上がる。 そうすると、京浜東北線が来る。
エスカレーターで上がった場所は3号車の到着場所で、それは女性専用車両なんだけど
僕は斟酌しないで乗り込む。
東京から西は女性専用が解除されるので問題ないんだよ。
車両にいる女性陣は野郎が乗り込んできて迷惑だと内心思っているだろうけど。
神奈川県民に迷惑だと思われてもどこ吹く風と一緒なのだ。これでいいのだ。
それどころか、男の身としては同じ料金払ってるのに女子が優遇されるのはおかしいのではないかと思わないでもない。
でもまあ、そうはいっても痴漢が撲滅できないのはわかるし
それに東京では女性専用車両は端っこの先頭車両が指定されているし、東京駅までと区間も限定されているし、時間帯も平日の通勤ラッシュ時に限定されているので許容できる。
しかし、1年前まで単身赴任していた大阪では魂消た。
地下鉄御堂筋線がさ。 ど真ん中の車両が女性専用で、しかも切れ目なしの四六時中なんだよ。
大阪ってとこはそんなに痴漢が大量発生するんかい
だったよ。
とにかくそんなことで、日々つり革にぶら下がる生活に戻った。
15の春に高校生になって、通学用の定期券を手にしてから46年。
仙台、京都、大阪で市内に住んで徒歩通勤していた時期を除くと、朝晩電車に揺られる生活を続けてきた。
どんな路線に揺られたかというと。。
常磐線、阪急線ー御堂筋線、半蔵門線、東横線、東横線ー半蔵門線、高崎線/宇都宮線ー銀座線ー東西線、京浜東北線ー東海道線ー京浜東北線の時代を経て、今の高崎線/宇都宮線ー京浜東北線/山手線に至っている。
けっこう、筋金が入ってるでしょう、えっへん
大半の朝は日経新聞を読んで、帰りは漫画雑誌か文庫本を読みながら過ごしてきたけど、今はスマホオンリーになっている。
一方、通勤でない電車の思い出も人並みにある。
人並みどころか、僕はずっとペーパードライバーをやっていて、大分前にその免許さえ失効させた者なので。 並みの人よりも電車の思い出は大分多いんじゃないかと思う。
実際、先週のお盆とか年末年始の大渋滞の様子を見ていると、皆なんでクルマで移動したがるのかなあと素朴に思う。
あんたら、シンゴジラが来たら、とんでもないことになるでえ。
その点、電車は速いし寝たっていいし、角ハイボールだって呑める。 こっちの方がずんといいと思うんだけど、ドライヴァーの気持ちはわからんよ。
そういう中で印象深い電車をつらつらあげてみると。
まず大学卒業の年に仙台から上京するときに乗った東北本線の夜行がある。
会社訪問をするためだ。
ゼミが一緒でしょっちゅうつるんでいた相棒と二人でボックス席に足を投げ出して眠りこけて、早朝の上野駅に着いた。
東北新幹線なんてものは影も形もなくて、上野駅が北の玄関口になっていた時代だ。
上野発の夜行列車降りたときから〜 青森駅は雪の中〜♪
なにしろいくつも会社を回るんでね。 早朝着が都合がよかったわけだ。
で、相棒の親せきの家が浅草だったかその辺にあったので、お邪魔して朝飯をたらふくご馳走になって。 また二人して上野駅に出て、そこで別々のルートに散った。
もはや断片的な記憶しか残ってないけど、夜行の座席がやけに固かったことや、親せきの家で供された食事が庶民的な料理でボリューム満点だったことなどをそこはかとなく覚えている。
でまあ、そうやって回った会社の一つにもぐりこんで大分たって、そこの仙台支社の営業課長をやったときに東北新幹線にお世話になった。
なにしろ東北6県ぜんぶをテリトリーにしていたんでね。 新幹線に乗りまくって、飛び回った。
当時はまだこういうはやぶさなんていう超高速はなくて、やまびこが中心。
やまびこはまだ八戸止まりで、そこから先は特急に乗り換えた。
仙台支社時代の後半には秋田新幹線も開通してこまちにもしょっちゅう乗った。
なんて楽チンなんだろうと思ったよ。
それまでは秋田はやけに遠いエリアだったからね。
山形は仙台からは仙山線やバスですぐそこだったので、つばさに乗る機会はなかった。
そういう旅から旅の営業鴉の車中で読んだ旅の随想は沁みた。
シバリョウの「街道を行く」はその土地土地を訪れているときに文庫本を開くと、味わいがずんと濃くなるよ。
ちなみに新幹線ということでは、後年、京都と大阪に単身赴任したので、東海道ののぞみにお世話になった。
仙台時代はそういう超特急の対極にあるような電車にも乗った。
商用で青森から下北に出向いたときに乗ったこれなんかすごかったよ。
二輌だけの渋い車輛もさることながら。 お客がジジババばっかりなんだよ。
ネクタイをぶらさげていたのは僕と連れの若いのだけ。
周りの皆さんは恐山にお参りする人たちだった。
もちろん僕自身もプライベートな旅でもいろんな列車に乗った。
一つだけあげると汽車ポッポに乗った。息子らが小さかった頃に乗った秩父鉄道のこれ。
息子ら大興奮。 男の子というのは汽車や電車が大好きだからね。
普通はそういう子供時代を過ぎると電車愛を卒業するわけだけど、そうでない人々も存在する。 ヲタクと呼ばれる種族だ。
僕が大人になっても漫画やアニメを卒業しないままなのと同じ。
鉄道ヲタクの場合は鉄っちゃんと総称されている。
僕はこの種族の会合を2014年8月17日に目の当たりにした。
なんでそんなに正確に日付がわかるかというと、例によって日記に書いたからなんだけど。 その日、僕は相棒のろまさんと中野で昼呑みした。 そのこと自体は今とまったく変わり映えしないのでそれはおいといて。 そのとき僕らは中野サンプラザに赴いた。
そこで鉄道グッズのオークションが開催されてたので野次馬的に覗いてみたんだけど。
いやあ、すごかった。 以下は当時の日記の抜粋。
会場にいたのはおっさんたちオンリーだった。女性の姿皆無。この辺りは、こないだ「ガールズ&パンツァー」を上映する館内に群れていたミリヲタと共通するところがある。
で、圧巻は「特急ちちぶ」だった。この写真、電車の鼻先にかかげられた看板みたいの。
これが対象になったんだけどね。何人かが手をあげる中で、5万円を超えた辺りから二人のおっさんのサシの勝負になった。 で、6万円、6万5千円、7万円と値がつりあがっていく中、二人とも一歩も引かず。
で、とうとう10万円の大台に乗ったところで決着がついた。
ぼろっちい看板みたいなのに10万円・・・ てっちゃん、おそるべしだったよ。
鉄っちゃんにはこういう風なコレクターの他に行動派もいる。
これらは主に「乗り鉄」と「撮り鉄」の二派に大別されるようだ。
乗り鉄は実際に電車に乗ること自体を楽しむ人ら。
この漫画のモデルは乗り鉄界の生けるレジェンドと言われている。
なにしろ、JR・私鉄全9843駅(当時)を制覇したというんだ。
制覇という意味はね、単に通過しただけでなく全駅に降り立ったということなんだよ。
降りたおしの男。究極の青春18切符者。
一方、撮り鉄というのは、その名の通りカメラで電車を撮る人ら。
ただ、走行妨害になるような社会に迷惑な人もかなりいるようなので、乗り鉄は撮り鉄と一緒にされるのをいやがる傾向もあるようだ。
僕はこの5月にカミさんとあしかが大藤まつり1号に乗ったときにこの撮り鉄の人らを目撃した。
こういうなんの変哲もない昔風の電車なんだけど。
撮り鉄にとってはレアな素材らしくてね。 駅に停まるたびに望遠レンズのついた立派なカメラを構えた人らがパシャパシャやってた。
そんなに大勢ではなかったし、節度も保っていたので、特に迷惑はなかったけどね。
撮り鉄と乗り鉄をミックスしたような人もいて、ちょっとどうかなとは思った。
如何にもな雰囲気の若い男。 その人は僕らの横の席にいた。 ボッチなんだけど満席のうちの二席をがめて、自分の隣の席にカメラを置いていた。 それはまあ、席料を払えば個人の自由ではあるんだけど。
で、駅に停まるたびに外に出て列車を撮る。それももちろんいいんだけど。
車内でカメラを客席の正面に向けてシャッターを押していたのはいただけなかった。
まあ、そんなに頻繁ではなかったので、撮影された僕らは知らんぷりしてたけど。
こういう人物が客席にまぎれこんでいたらタダではすまなかったと思う。
このデューク東郷は半世紀に渡って世界を股にかけ続けている怪物的な人物である。
一方、僕はマルドメなんだけど、それでも海外の電車にも多少の思い出は持っている。
例えば、さっき出した営業課長時代にえらいさんのかばん持ちでハバに出張した。
ロシアのハバロフスクね。
で、寝台列車でウラジオストックに向かった。よく覚えてないけど、たしかこういうの。
ときは真夏。ロシアだって暑い。ところが列車のクーラーがまったく効かなくてねえ。
えらいさんと二人して寝台でシャツだけになって、ウォッカを呷ってなんとか凌いで、目的地に着いたときはクタクタじゃがーになっってたよ。
タイのバンコクに出張したときは帰りに空港に出るのに高架鉄道を使った。
電車そのものは速くて清潔で、お客さんのマナーもよくて(例えば日本と違って飲食禁止)、それはよかったんだけど。
高架の駅に上がるには階段しかない。 でっかいトランクを抱えてエッチラオッチラしたときはしんどかった。
カミさんと彼女のおふくろさんと三人で台湾旅行に行ったときは、台北から台中まで新幹線に乗った。 なんでも日本の新幹線をモデルにしたそうで、たしかに乗り心地は似ていたと思う。
このとき僕が魂消たのはカミさんのITスキルと英語力だった。
国内からネットで三人分の指定席を予約して。 台北駅で係の人と英語であれこれやりとりしてバウチャーチケットを正規の切符に交換した。
僕にはあんなの到底無理。ほとんどツアコンのレベルだった。
そんなんで僕は同じ台湾に行くでも、こないだのオヤジツアーみたいに台北市内だけをうろついて小籠包を食ってるのが分に合っている。
一方、国内ではこれからもいろんな電車に乗ることになるだろう。
とりあえず明後日からまた通勤電車に揺られる日々が来る。
旅行も行きたい。
上野東京ラインを使えば熱海まで直通。 東京駅でホームの向かいの踊り子号に乗り換えて、一段と旅情を楽しむ手もある。
線路は続くよ〜 どこまでも〜 ♪
ということで締めの一曲。
Well the pistons keep on turning And the wheels go round and round
I gotta keep on moving, gotta keep on moving
ピストンがズンドコやって 車輪は回りに回る
俺は進む 進み続けるぜ
The Doobie Brothers - Long Train Running (official video)
https://www.youtube.com/watch?v=m4tJSn0QtME
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