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2015年01月17日20:08

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新丸子の思ひ出

僕はエッセイという形式の書き物が好きで、色んな作家のそれを読んでいる。

気に入ったエッセイは何回も何回も読む。 なんといっても小説に比べたら、お手軽だからね。

なので、エッセイは本棚の中の手に取りやすい場所に並べてある。 ざっと眺めてみると・・・

村上春樹、植草甚一、伊丹十三、丸谷才一、開高健、池波正太郎、沢木耕太郎、塩野七生、五木寛之、寺山修司、山際淳司、阿川佐和子、串田孫一、半村良・・・  

椎名誠も忘れちゃいけない。 その伝では群ようこもいる。 矢作俊彦の「複雑な彼女と単純な場所」や「ドアを開いて彼女の中へ」もエッセイの一種と言える。 麻生圭子もいた。 京都に住みつつ彼女の書き物を読むと、いちいち頷くことが多かった。


そういうお気に入りエッセイの一つ、山口瞳の「酒呑みの自己弁護」を久しぶりに読んでたら、こんな一節があった。

「私のいたサントリーの社宅は川崎市の郊外にあった。そのあたりは、川崎市ではあるけど、東横線の桜木町と渋谷の中間といったほうがよく、いまは地下鉄が出来て非常に便利になった。田園調布から丸子橋を渡った向こう側といったらわかりやすいだろうと思う。」

僕はこれを読んで、やあ、山口さんはご近所の人だったのかあと思った。


偶然というのは重なるもので、その数日後にかの王選手もご近所だったことがわかった。

日経新聞の名物コーナー、私の履歴書が今月は王貞治さんの番なんだよ。

その中で今週水曜日に掲載された妻の恭子さんとの出会いを綴った一篇の出だしがこうだった。

「それは偶然の出会いだった。プロ一年目のこと。私は川崎市新丸子にあった多摩川寮に入り、そこから後楽園球場や対岸の河川敷にある練習場に通っていた。」


フォト  フォト


この新丸子という街は僕も住んでいたことがあるんだ。

まあ、山口さんや王さんがいらした頃と時期は重なってはいないんだけどね。

僕が住んでいたのは80年代後半。 

中原街道沿い、丸子橋のすぐ近くの古いマンション。 そこで、新婚生活を送ったんだよ。


川崎市というと工業地帯的なイメージがあるかもしれないけれど、新丸子はそれとは全く違う。

一方で、東横沿線のハイソな住宅街というイメージとも大分違ってた。

一言でいうと、古き良き時代の下町的な雰囲気が漂う小さな街だった。


昔はいわゆる赤線的なエリアだったらしい。 その名残りが丸子劇場だった。

僕が移り住んだときには、もうなくなっちゃってたんだけどね。

かつては一世を風靡したストリップ劇場だったそうだ。

で、僕はその恩恵を大分享受した。 なにかというと、当時はバブル絶頂時代。 

なので、新婚時代とはいえ、仕事やら遊びやらで午前様になることがしょっちゅうだった。

当時の勤め先は渋谷にあった。 で、午前様になればタクることになる。

で、タクシーに乗るなりこう伝えたわけだ。

「新丸子。 中原街道沿いで丸子橋を渡ったところ。 丸子劇場のあったところ辺り。」

こう言えば、当時は100%OKだった。 うたた寝中に近くなったら、必ず起こしてもらえた。


僕らが住んでた頃は王さんは巨人の監督をやってた時代で、新丸子とは程遠い存在だったけど、有名な多摩川グラウンドは健在だった。

で、プロ野球好きのカミサンは練習を見学にいってた。

駒田選手(知ってる?)と楽しくお喋りできたとか言ってたな。


あとは有名人のゆかりのものとして「銀寿司」があった。

確か銀寿司だったと思うんだけど、屋号が間違ってたらごめんなさいです。

そこにね、かの馬場正平氏が下宿してたことがあるんだよ。 ジャイアント馬場。


新丸子駅を降りると、中原街道にぶつかるまでの縦に伸びる道を囲む小さな商店街がある。

その寿司屋さんは商店街の真ん中辺りにあった。

で、お店の上の2階にささやかな住居スペースがあった。 

夜に丸子商店街を歩きながら、そのお寿司屋さんの2階に灯りがともってるのを見かけると、そおかあ、ジャイアント馬場はあの部屋で暮らしてたことがあるんだなあと思ったもんだった。


その新丸子での生活だけど。 楽しかったよ。

まあ、なにしろ新婚さんだったからねえ。

あの頃は週末は同じ沿線の自由が丘によく出かけた。

ちょうど新しく名画座ができてね。 夫婦でよく行ってた。 覚えてるのは。

カサブランカ、マルタの鷹、ラストショー、ペーパームーン、追憶・・・ 白黒が多いな。


長男が生まれてからは、自転車の赤ん坊席に乗せてサイクリングによく出かけた。

丸子橋を渡った先の多摩川苑の名物はアユ焼き。

つっても、ほんとの鮎の塩焼きとかではなくて、タイ焼きのアユ版なんだけどね。

それを頬張りながら、多摩川沿いのサイクリングロードを家族でのんびり走る。

そうすると、かのユーミンが愛した二子玉川園に着く。

で、テイクアウトの店が並ぶ広場で、カレーやらピザやらシシカバブーやらもちろん生ビールやらを買って、陽光の下でランチをとる。

これぞ、週末!って感じだったよ。


最後は新丸子当時に僕ら夫婦がハマってたテレビドラマを紹介しよう。

一応、川崎市つながりでもありなので。 

なぜかというと、千葉に住むサラリーマンの主人公が通勤に使ってたのが、今は亡き木更津ー川崎フェリーだったので。


男女七人夏&秋物語


僕らはリアルタイムの放映時では、かの有名なトレンディドラマのパイオニアを見てなかったんだけど。

ちょうど、新丸子時代に深夜の再放送をやってくれてね。 

確か、平日の毎晩だった。 で、二人で一話も欠かさず見た。 

残業でへばってるときも、酔っ払ってるときも見た。

そのとき一回しか見てないんだけど、あれはよくできたドラマだったと思う。

とにかくキャラが立ってって、その配役が絶妙だった。


一番の儲け役はもちろん、明石家さんま。 

もう一人は岩崎宏美。 フェリーの船上からさんまに向かって敬礼する姿。 けなげ過ぎ。

片岡鶴太郎はあれは本来は脇キャラだったので、本人の力でブレイクしたように思う。

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一方、儲け役があれば、損な役もある。

大竹しのぶはなんていやな女なんだろうと思った。 

まあ、それは彼女の演技力の術なんだろうけど。

山下真司はあれでかなりファンを減らしたんじゃなかろうか。

フォト  フォト


そういう風に語れるほど、あのドラマには感情移入してハマった。

ということで、締めは懐かしの夏・秋物語のOPをそれぞれ。

石井明美の「CHA-CHA-CHA」と森川由加里の「SHOW ME」



https://www.youtube.com/watch?v=Dff80NTYuq0



https://www.youtube.com/watch?v=pBXqowj4yOM
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