mixiユーザー(id:1742111)

2022年04月06日01:00

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■今のmixiに存在価値があるとすれば、誰も見ていないので好き勝手なことが言えるってことだろう。だいたい今どきのSNSというものは言いたいことが言えないようなシロモノばかりだ。うっかり何か言っちゃうと炎上して社会的地位を失うハメになる。その点mixiは炎上の心配なんか一切無いので何でも言えるってわけだ。


■ガラケー終了ということで、ついにスマホを持つことになってしまったのだが、2週間以上経ってるのにほとんど全く使ってない。1回電話したくらい。画面を見るのは1日1回。夜にチェックするだけ。中には1日中スマホをいじってる人などもいるそうだが、一体ナニをやってるのか謎すぎる。みんな電車の中でスマホ見て忙しそうだけど、僕は電車の中で本を読むのに忙しい。

スマホのようなテクノロジーが人体の延長として機能していることはよく分かっている。昔なら10人以上の電話番号や誕生日などをすべて暗記してたものだが、今では携帯電話のアドレス機能が代わりに覚えていてくれるので、わざわざ暗記の必要も無い。そして、記憶に関することならスマホのグーグル検索でいろいろ代用できるのでわざわざ自分の頭で覚えてる必要もない。自分で見た光景だってそれを記憶に留めておかなくてもスマホで画像に撮っておけば後で見れる。他にもいろいろあるだろう。

また、人体の延長としてだけでなく、娯楽としてもいろいろと使えるらしい。ゲームとか、電子書籍とか、映画やドラマとか、音楽プレーヤーとか、チャットとか(LINEなど)、塾や予備校のオンライン講義とか、果ては恋人選びや婚活まで。他には僕には思いつかないけど、なにやらいろいろ出来るとか。

そして、たぶん今ではメインのコミュニケーションツールなのだろう。みんな他人とのやりとりは基本スマホなのではないか。いつ誰から連絡が来てもスタンバイ出来ているように常にスマホを身近に置いておくのだろう。トイレにまでスマホを持参する人もいる(実際に駅やデパートのトイレでスマホ片手に用を足す器用な人を何度も見ている)。

今さら何言ってんだこの老害がって話だが、なにしろ今ごろ初めてスマホを持ったのだ(そもそもガラケーだってほとんど使わなかったのだ)。スマホとは何者か?というのが気になるではないか。なにせ皆が自分の手足や頭の延長として当たり前のように使いこなしているスマホなのだ。よっぽどスゴイ奴に違いない。

で、そう考えてもやっぱり僕にはほとんど興味が湧かない。そういうのはパソコンだけで十分だ。ただ、スマホのカメラは優秀だということなのでカメラ機能だけは多少興味ある。ただ、カメラが付いてるのならファインダーもつけて欲しかったなあ。2週間経ってるのにまだカメラ使ってないけど。


■ネットに面白い資料が載ってた。歴代の総理大臣の出身校。

宮沢喜一 武蔵高校  (東京)  東京帝国大学法学部
細川護煕 学習院高等科(東京) 上智大学法学部   
羽田孜  成城学園高校(東京) 成城大学経済学部
村山富市 東京商業高校(東京) 明治大学専門部
橋本龍太郎 麻布高校 (東京) 慶應義塾大学法学部
小渕恵三  都立北高校(東京) 早稲田大学大学院政治学研究科
森喜朗   金沢二水高校(石川)早稲田大学第二商学部
小泉純一郎 横須賀高校(神奈川)慶應義塾大学経済学部
安倍晋三  成蹊学園高校(東京)成蹊大学法学部
福田康夫  麻布高校 (東京) 早稲田大学政治経済学部
麻生太郎  学習院高等科(東京)学習院大学政治経済学部
鳩山由紀夫 小石川高校(東京) 東京大学工学部
菅直人   小山台高校(東京) 東京工業大学理学部
野田佳彦  船橋高校 (千葉) 早稲田大学政治経済学部
菅義偉   湯沢高校 (秋田)法政大学法学部
岸田文雄  開成高校 (東京)早稲田大学法学部

東大って鳩山しかいないのか(宮沢の時代は帝大だし)。というか唯一の東大出身者がよりによって一番ヤバイ鳩山っていうのが笑える。開成もひとりだけなんだな。それがまたよりによって岸田(笑)。学歴ってのはほんとアテにならんな。まあ、そもそも総理大臣なんてまともな人間がなるものでもないが。


■政治に関わる人間の顔つき(表情)が一様に醜くなるのは、彼らの世界が「利害・損得・勝ち負け」だからだろう。そこには自然(花鳥風月)というものが一切無い。経済界も同じようなものだ。


■「新しい」ということの価値が揺らいで来た気がする。そして「古い」ことの価値が増してきた。もちろん自分の中での話だけど。レトロということがますます居心地よくなって行くの何なんだろうか。雑貨屋を見て歩いてもレトロなものはただレトロというだけで好ましく思えたりするし、普通の本屋よりも古本屋のほうが楽しいし。そもそも、古いモノというのはかつてはみんな新しいモノだった。時間の経過とともに古いモノとなって行く。古いモノにあるのは時間だ。


■昔から自分用のメモみたいなものをシンプル・テキストに書く習慣があって、そのファイルが沢山残ってるのだが、さっきたまたま昔のものをいくつか見てたら、どれも結構面白かった。たとえば2012年のメモ。

ーー
混沌の中から価値やヒエラルキーなどによって秩序を見いだすのが大人の世界で、混沌を混沌のまますべて認めるのが子供の世界。

自分の世界が、ある価値観で秩序づけられるとき、子供は子供ではなくなる。

多様な価値観に混乱し、病んでしまった大人は、混沌を混沌のまま認める技を身につけようと「修行」などするハメになる。そして「すべては完全である」なんて、分かったような気になる。

「すべてが完全である」世界に住んでいるのは、混沌を混沌のまますべてを認める子供だけだ。大人の場合それは錯覚みたいなものでしかないのではないか。

「これでいいのだ」(天才バカボン)という言葉は、すべてを認めるという意味だ。子供にとっては当たり前のことを、大人はわざわざ言葉にしなければならない。何故なら大人にとっては当たり前ではないから。

子供は、大人の未熟バージョンなんかではなく、大人とは全くの別物。子供時代の感性を覚えてる人は、極めて少ない。でもたまにいる。そして、その感性を作品化したものが、ごくたまにある。それに触れるとき、自分が混沌を混沌のまますべて認めていた時代の自由感を少しだけ思い出せる。と同時に、妙な不安感と寂しさも何故かよみがえる。その不安は混沌という得体の知れないものから来るのだ。

ーーー

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