昔、かなり暑い日に実家に行ったときのこと。近所に住む甥が虫かごを肩から斜め掛けしてやってきた。当時小学生の甥はクワガタやカブト虫に凝っていたのだ。僕も小学生のときにクワガタやカブト虫を集めていて、わざわざ朝早く起きて近くの森まで採りに行ってたので、その虫かごが懐かしく思えると同時になんだか羨ましくなった。
で、近くの神社あたりまで散歩しながらクワガタでも探そうということになり、物凄い暑さの中出掛けて行った。僕は経験上クワガタのいる木というのはだいたい分かるのだ。これでも小学生のときは名人レベルでクワガタのいる木を当てることが出来た。というか、樹液の出てるクヌギの木にはだいたい何かいるわけで、樹液のところにいなければ、木の皮の裂け目か、木の下を掘ればいたりする。
とはいえ、あまりにも暑い日。ちょっと歩くだけでも熱中症になりそうなほどの暑さだったので、虫採りはだんだん億劫になってきた。そんなときに林の中に、これは絶対に何かいると思われるクヌギの木を発見。クワガタくらいはいるだろうと思って2〜3回くらい蹴ってみたのだが、何も落ちて来ない。てことは木の裂け目にいるはずと思って上から下まで点検するも見当たらず。であるならば木の根っこのところに隠れているはず。クワガタは夜に樹液を吸いに上に登ってきて、昼は木の根っこのところの土の中にいることが多い。だもんで本来ならば木の下を掘って探すべきなのだが、もうその時点で汗だくだし、暑さで頭もぼーっとしてくるし、蚊には刺されるし、さらに手が泥だらけでベタベタになるのも面倒だと思い、諦めた。クワガタはいなかったね、ということで帰ってきたのだ。
が、その後ものすごい後悔することになった。やはりあのときは意地でもクワガタを見つけるべきだったのだ。一匹のクワガタに比べれば手が泥だらけになることなどどうでもいいではないか。いくら暑いとはいえ倒れるほどでは無いのだから、気合いでクワガタをつかまえるべきだったのだ。何故あのとき土の中を調べなかったのかと、それを何年も何年も後悔していた。
先日、ひさしぶりに甥に会った。もう大学を卒業するそうで、卒論も書き終えたとか。で、この話をしてみたら、虫採りに行ったことはうっすらと覚えてるということだった。僕があのとき土の中を掘らなかったのを今でも後悔していると話したら、あまりの馬鹿馬鹿しさに笑っていた。
子供時代というのは一種の神話だ。小学生くらいの頃までのことというのは、何故だかその後ずっと何らかの形でその人に影響を与え続ける。そして、その神話は土台としてその人を支え続ける。
というわけで、甥の神話の中にクワガタ採りの名人としての僕は登場しそこねた。返す返すも残念でならない。
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