冬になると星がよく見えて、星座なんてひとつも知らない僕のような者でも思わず星座っぽい星の並びを探してしまうものだが、それと同時にいろんな過去を見てるんだよなあと妙な気分になる。
星を見るというのは過去の光を見るということだ。しかもいろんな時代の過去を見ている。1光年離れた星からは1年前の光が、100光年離れた星からは100年前の光が、500光年離れた星からは500年前の光が、それぞれ同時に今の自分の目に届いている。ばらばらのいろんな過去を同時に見れてしまう。
で、これは自分の過去を思い出すときに似ている。10年前の出来事と、40年前の出来事を思い浮かべるとき、10年前の記憶の方がより近く感じて40年前の記憶がより遠く感じるということは無い。どちらの過去を思い出すときも今の地点からほぼ同じ距離にあるように感じる。1年前の出来事も、10年前の出来事も、40年前の出来事も、アタマの中ではすべて並列で並んでおり、今の地点からそれらすべてを同じように取り出して並べて思い出すことが出来る。しかもそれらの映像の鮮明さはどれも一緒だ。星を見るときにいろんな過去の光を全部同時に見れるというのと同じではないか。
ところで、僕が星を見ててなんか変に思うのは、なぜ遠い過去(の光)を見ることが出来るのかということ。当たり前のことだけど、やっぱり変だ。過去というのは心の中にあるはずなのに、なぜ1年前の光や100年前の姿が目に見えるのか。自分が生まれる前の光が今見えるというのはどういうことなのか。どう考えても納得できないし、ほんとに妙なことだ。過去というのは心で思い出すことであって精神の働きだろう。でも星は過去を具体的に見せてくれる。どうもだまされてるような気がしてならないんだが。
そしてまた、感度のいい望遠鏡を作っていけば、さらにどんどん遠くの星、つまりさらに過去の光を見ることが出来るってのも、なんだか納得できない。望遠鏡がタイムマシンみたいではないか。天文学では当たり前なんだろうが、どう見ても当たり前ではない。かなりおかしなことだ。とんでもなく大きな望遠鏡で(ハワイにあるらしいが)、最後はビッグバンを見ようとしてるらしいけど、うっかりビッグバン以前が見えちゃったりなんかしたら面白い。自分の後頭部が見えちゃったりしてね。
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