mixiユーザー(id:1742111)

2019年10月22日01:10

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「私をスキーにつれてって」というクソ映画の見所は最初の方にある原田知世の「バーン!」ってとこだが、そこをピークに映画自体(ストーリーも含めて)テンションがだんだん下がっていくような気がするのは、僕が人間関係のあれこれに興味が無いせいというよりも、出会いの瞬間こそが美しさのピークでありその後は人間関係の煩わしさによって汚されるだけであるという、ほとんど老臭漂う達観視によるものだろう。それはそうと、バブル期の映画なだけあって現代とのズレが結構ある。今となってはそのズレ具合こそが見所かもしれない。

また、「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」というクソ映画の見所はタイムスリップしたバブル時代の光景の数々なわけだが、バブル期に大学時代を送ったバブル世代の僕から見るとこの映画のバブル描写はどれもこれもちょっと違うという感もある。映画のラストの馬鹿馬鹿しさはいかにも娯楽映画という感じで馬鹿に徹しているのが凄い。

どちらもホイチョイプロダクションの映画。前者がリアルなバブル期(1987年)のもので、後者は2007年のもの。後者のバブル描写は当然パロディ的。

リアルなバブル期というのは、自分達は今バブル期にいるなんていうことが全く分からない。だもんで「私をスキーにつれてって」は当時の価値観がそのまま出ているというだけで、特にバブル時代のリッチ感が強調されているわけではない。ただ、貧しくなった現代から見るとバブル期のあれやこれやが違和感となっておかしく思えるというわけだ。

で、すでに貧しくなっていた2007年に作られた「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」では、いかにバブル期がリッチで変だったのかがおもしろおかしく強調されるわけなのだが、この誇張されたバブル描写よりも、むしろ僕には「私をスキーにつれてって」のバブル感の方がよっぽど面白く思えた。だいたい三上博がいるだけで笑えるのが凄い。女性陣の派手目な化粧や髪型も何やら笑いをさそう。ただ、何故か原田知世だけ現在から見てもどこにもおかしさが無く、普遍性を保っているのが妙だ。2年前からJRが「私をスキーにつれてって」をパロディ的に使ってキャンペーンをやっているけど、これは当時の原田知世に普遍性があるからこそ成り立つもののように思える。

原田知世はデビュー映画の「時をかける少女」のときに角川春樹社長と大林宣彦監督によって人形のようなキャラに仕立て上げられたが、そのキャラはどの時代にもいないような不自然さゆえに逆にどの時代にも通用するような普遍性を獲得した。原田知世はその後もずっとそのキャラを引きずることとなる(それが事務所の方針だったのかどうかは知らない)。「私をスキーにつれてって」でもその無時代的キャラなのだ。だからこそ今「私をスキーにつれてって」を見ても原田知世だけは特にバブル的な古臭さもなく、超然としている。ここに出てくる実の姉の原田貴和子と比較してみればそれがよく分かるだろう。

ところで、雑誌『レコード・コレクターズ』2014年11月号の特集「80年代の女性アイドル・ソング・ベスト100」において、原田知世の「時をかける少女」が1位を獲得している。これは映画「時をかける少女」の主題歌で、作詞・作曲は松任谷由実。原田知世が棒のように歌っている曲だ。あの80年代の中で1位ってのが凄いが、これもおそらく原田知世のどの時代にも属さないようなイメージが一役買っているのではなかろうか。どの時代にもいないような存在として加工されたキャラゆえに古くならないという原田知世のイメージがこの曲に加味されているのだ。

さて、これだけ分かったようなことを言っておいてなんだが、僕は原田知世についてよく知らない。この「時をかける少女」の神通力はいつまで続いたのだろうか。大林宣彦監督がとあるラジオで、原田知世は2007年にようやく「時をかける少女」の呪縛から解かれて「時をかける少女」をボサノバで歌ったアルバムを出したと言っていたので、その頃にあのキャラも消えたのかな。
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