mixiユーザー(id:1737245)

2020年01月28日23:51

257 view

不条理文学とハードボイルド小説

フォト


グスタフ・ヤノーホは『カフカとの対話』で、カフカが語ったものとして次の言葉を回想している。

「犯罪小説はいつも、異常な事件の背後に隠されている秘密をあばくことが、問題となります。しかし、人生においてはまさに正反対です。秘密は背景に引っ込んだりはしない、――それどころか、赤裸な姿でわれわれの鼻先に立っているのです。秘密とはじつは自明なもののことであって、そのためにわれわれには見えないのです。日常というものが、およそ最大のギャング小説となりました。われわれはあらゆる瞬間に、不注意にも数千の死体と犯罪のそばを通りすぎているのです。われわれのいわゆる生活の習熟とはこんなものです。しかし、慣れによって麻痺してしまったわれわれを、なおかつ驚かすものがあるとすれば、それはこの不思議な鎮静剤、すなわち犯罪小説なのであって、人間生活のあらゆる秘密を、罰すべき異常現象として描いてみせるのです。犯罪小説はだから、いかものではありません。それは――イプセンの言葉を借りれば――社会の支えであり、ふだんは市民の良俗に姿をやつしている非情な背徳の、それは余所ゆきの一張羅なのです」(グスタフ・ヤノーホ『カフカとの対話』)

「こうしたもの(犯罪小説)を読むからといって、恥ずかしく思うことはありません。ドストイェフスキーの『罪と罰』もじつは犯罪小説にすぎぬではありませんか。シェークスピアの『ハムレット』はどうでしょう。これは探偵ものです。筋の中心に秘密があって、徐々にそれがあばかれてゆきます。しかし真実以上に大きい秘密があるでしょうか。文学はつねに真実をもとめる探検行にすぎないのです」(グスタフ・ヤノーホ『カフカとの対話』)

大衆向けの犯罪小説を、ドストエフスキーやシェークスピアを引き合いに出して肯定的に評価するこのカフカの言葉は、ダシール・ハメットやレイモンド・チャンドラーといったハードボイルド小説の創始者たちの作品に対する見事な同時代的批評にもなっていると思う。

カフカは1883年、ダシール・ハメットは1894年、レイモンド・チャンドラーは1888年、にそれぞれ生まれている。つまり、3人ともほぼ同世代に生きた作家なのである。そして、この3人が体験した最も決定的な歴史的事件は第一次世界大戦に他ならない。史上初めて機械化された総力戦という事態が現実となった第一次世界大戦以降の世界は、それまでの文学言語では捉えきれないものとして問題化し、その未曽有の歴史的状況を言語化することが、各国の作家・文人たちの喫緊の課題となった。その時代の要請の中から生まれてきたのが、ヘルマン・ヘッセの『デミアン』であり、トーマス・マンの『魔の山』であり、あるいはシュペングラーの『西欧の没落』であり、ハイデガーの『存在と時間』であり、そしてジョージ・スタイナーの指摘するようにヒトラーの『我が闘争』であった。

ハードボイルド小説もまた、第一次世界大戦後の現実をどう言語化するかの試みの一つとして生まれたジャンルだったと言えるだろう。サム・スペードやフィル・マーロウといった古典的なハードボイルド小説の主人公たちは、みなトレンチ・コートを着ているが、これは元々第一次大戦において英国軍で支給された軍服である。第一次大戦を特徴づけるのは塹壕戦だが、塹壕(トレンチ)での戦いに耐えるためのアイテムがトレンチ・コートだった。そして、第一次大戦からの帰還兵を象徴するトレンチ・コートは、戦後のそれ自体一つの大きなミステリーとなった現実のなかを彷徨う探偵たちの「一張羅」となった。

実際、ハメットやチャンドラーは第一次大戦で従軍の経験がある。ハードボイルド小説が、第一次大戦後の現実をいかに言語化するかという問いへの一つの「回答」として生まれたことは、おそらくきわめて重要な文学上の歴史的事実である。

ヤノーホによれば、カフカは次のようにも語っている。

「因果関係の不明な出来事が併発すれば、偶然とよばれます。しかし原因なしに世界は存在しない。だから、偶然は本来世界にあるのではなく、ここにだけ――偶然は私たちの頭のなかにだけあるのです。私たちの限られた知覚のなかに。それは私たちの認識の限界を反映するものです。偶然に対する戦いは、つねに私たち自身に対するところの、完全には勝を制することのできぬ戦いです」(グスタフ・ヤノーホ『カフカとの対話』)

「新聞は世界の事件を運ぶ――石には石を、塵芥溜には塵芥溜を、というふうに。これは土砂の堆積です。意味はどこへ行ってしまったか。歴史を出来事の堆積と見ることはなにものをも意味しない。事件の意味が問題です。これは新聞には見当たらぬ。信ずること、見かけの偶然を客観化することにのみ見出されるのです」(グスタフ・ヤノーホ『カフカとの対話』)

このカフカの言葉は、たとえばハメットの次のようなフレーズと期せずして同時代的に反響し合っているといえないだろうか。

「おまえの考えは薄っぺらだ。探偵稼業には向かない。おもしろ半分に楽しみながら殺人者をとらえるなんてことはできないんだ。手にはいるかぎりの事実を目の前に並べて坐り、カチッと歯車が噛み合うまで何度でもひっくり返して眺めなきゃならない」(ハメット『デイン家の呪い』)

「たとえどのようにとりつくろおうと、人は物事を明白に考えたりはできない。考えるということは頭が混乱するってことなんだ。人にできるのは霧の中でちらっと見えるものをできるかぎりつかまえ、つなぎ合わせることぐらいさ。人が自分の信念や意見にかたくなにしがみつこうとするのはそのためだ。人が直面することになる危険の多い道に比べれば、どんなに愚かしい信念であっても、この上なく清明で、健全で、自明なものに思える。もしその信念をとり逃がしたりすると、あの霧のかかった混迷の中に飛びこんで、それにかわる新たな混迷を求めてもがきつづけることになる」(ハメット『デイン家の呪い』)

カフカの主人公も、ハードボイルド小説の主人公も、同じように現実を不条理の迷宮として認識している。異なるのは、後者が一応の結末に至るの対して、前者は不条理のままに現実を描こうとするが故についに未完に終わらざるをえなかったことである。

カフカによる第一次大戦後の世界の不条理性の発見と、不条理化し断片化した世界を行動によって統御するハードボイルド小説の誕生。サム・スペードやフィル・マーロウといったハードボイルド小説の主人公たちは、みなカフカの「K」の協働者(コラボレーター)だったと言えるのではないだろうか。たとえば、ヤノーホの紹介するカフカの語ったとする次のような言葉は、ほとんどハードボイルド小説の主人公たちの行動原理を語ったもののようにも受け取れる。

「冷静に、そして耐えるのです。悪と不快を、そのまま冷静に受けて堪えることです。そしてそれを回避してはならぬのです。逆に、それを正確に見つめるのです。反作用的な興奮の代わりに、積極的な理解を持とうとなさるがいい。そうすればあなたはものを超えて成長するのです。人間が偉大に到る道は、自分の卑小を超えることにのみあるのです」(グスタフ・ヤノーホ『カフカとの対話』)

「忍耐強くすべてを受け入れ、成長しなければなりません。不安な自我の限界は、愛によってのみ打ち破られる。私たちの足もとにかさこそと音を立てる枯葉の向こうに、すでに若い新鮮な春の緑を見、そして忍耐し、待たねばなりません。忍耐こそ、すべての夢を実現させる真の、唯一の基盤です」(グスタフ・ヤノーホ『カフカとの対話』)
3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する