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2019年12月08日00:03

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「死にたい」という気持ちと「生きたい」という気持ち

フォト


昨日発売のフーの13年ぶりの新譜『WHO』が感動的に素晴らしい。レジェンドクラスの新作にこれほど感銘を受けたのは、2015年発売のブライアン・ウィルソンの『ノー・ピア・プレッシャー』 以来。収録されている一つ一つの楽曲が素晴らしいだけでなく、隅々まで神経の行き届いているような飽きさせない工夫されたサウンド・アレンジの瑞々しさが驚異的。とても70歳過ぎのじいさん二人組の作った音楽とは思えない。この歳になれば、普通枯れた味わいやノスタルジックな芸風へと移行するものだけど、全然枯れてもいなければ懐古的でもなく、ほとんど「新境地」とも言いたくなる未来的ですらある響きを湛えた新作を届けてくれたことに、もうただひたすらリスペクトあるのみ。

フーというバンドは、元々、十代の疎外感(teenage wasteland)の比類なき歌い手として特別な存在だったのだけど、若気の至りを「老いぼれる前にくたばりたい( I hope I die before I get old. )」と歌い上げた「マイ・ジェネレーション」でモッズのヒーローとしてメジャー・ブレイクし、その性急な夭折願望に落とし前をつけて生き続けることの決意を「泣くなよ、涙を堪えるんじゃない、たかが十代の荒地じゃないか(Don't cry,Don't raise your eye,It's only teenage wasteland
)」と宣言した「ババ・オライリー」でロックとテクノの融合の一つの理想型を確立し、ビートルズやストーンズと並び英国を代表する存在となった。

「十代」「思春期」「若さ故の苦悩」みたいなものは、一貫してフーのモチーフではあるのだけど、さらにそういう「生きることにも心急き、感ずることも急がるる」(プーシキン)といった激情を抱えつつどう生き延びるかを模索したとき、ロックとテクノという相異なる性格の音楽を融合するというのは、「死にたい」という気持ちと「生きたい」という相反する気持ちを綜合して、精神の世界における誰も見たことのない新たな領域を切り拓く一つの「発明」ともいうべき仕事だったのかもしれない。「死にたい」という気持ちを突き詰めたところに「生きたい」という気持ちが再生する――そんな作風を確立したことが、フーの楽曲やパフォーマンスがいつまでも新鮮さを失わない理由だろうか。

新作の『WHO』も、基本的には「ババ・オライリー」で確立された、シンセ・ループにラウドなギターが乗っかるという、ピートお得意の意匠を駆使して作られているのだけど、前作『エンドレス・ワイヤー』までにあったマンネリ感を感じさせない。その理由としては、

「テーマは無し、コンセプトも無し、ストーリーも無し」

とピートが語っているように、『トミー』以来フーを呪縛してきた「コンセプト」や「ストーリー」から解放されたことが挙げられるかもしれない。アルバム一枚で一つの物語を作り上げなければならない――という強迫観念から解放されたためか、それこそ『トミー』(あるいは『セル・アウト』)以降、フーのアルバムにつきまとっていたクローズドな感じが、『WHO』にはないのである。そういう意味で、本当にデビューアルバムの『マイ・ジェネレーション』の頃に戻った、まさに原点回帰のような作品と言えるだろうか。

デビュー54年目にして、原点回帰であり、新境地であり、そして最高傑作でもあるアルバム――そんなアルバムを、70歳過ぎの人間が作り得るということを示してくれただけでも、生きることを励ます途轍もない「ギフト」だと思う。


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