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2019年11月21日20:47

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百十五年の眠りから醒めた写真の話

まずこの写真をご覧頂きたい。これは現存する日本最古の天体写真である。撮影は明治三十二年三月五日。

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二枚目はそれから数年して撮影されたオリオン座星雲群である。思わず見入るほど美しい。

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撮影は東京港区の麻布天文台。東京三鷹の国立天文台の前身である。
米国ブラッシャー社の口径20センチ、焦点距離1200ミリの天体望遠鏡。そのお尻の部分に六切り(8×10インチ角)の乾板を装着し撮影したものである。
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乾板とはまだセルロイドが無かった時代のガラス製の写真フィルムである。合成樹脂の発達と共に、割れやすく重いガラス乾板はフィルムにとって代わられた。
やや星像が滲んで見えるのはその形から判断するに、天体追尾装置(赤道儀)の精度の悪さによる物かも知れない。
当時はクオーツ制御も、電気制御も無く機械仕掛けで星を追尾して撮影していた。

天体を撮影しそこに写し取られた映像を元に様々な研究が行われるのはこの当時から始まっていた。写真による天体観測の初期の時代の物で有る。
それ以前は観測者自らが望遠鏡のファインダーを覗きスケッチにより記録するより他は無かった。

東京麻布天文台は、明治二十一年。それまで個別に独立して存在していた三つの官設天文台。
東京大学理学部観象台。海軍省測量部観象台。内務省地理局天象部が合併。麻布の海軍省測量部観象台の庁舎に設置された。
この写真は東京天文台発足当時の物で百十五年前の物という事になる。

やがて麻布周辺の市街化が進行してきた。天体観測に街の灯りは禁物である。郊外に移転を決定したのが明治末年。
これが現在の東京三鷹の国立天文台である。
平成20年に大量に発見された百年の時を経た写真乾板四百三十一枚は関東大震災や戦災で焼失してしまった物とされていた。新星発見となった学術上大変貴重な価値の写真も有るらしい。
百年もの間倉庫の片隅で忘れ去られていた劣悪な保存条件故に、割れてしまったもの、カビが生えてしまったもの、画像が記録されている薬剤面が剥離してしまったものが多いが、それでもつい先日撮影されたばかりの様に映像そのものは鮮明である。

時代の流れと共に映像の記録方法は変化する。銀塩のと違い実体の存在しないデジタル程儚い物は無いように思えるのだが如何だろうか?
僅か数年前まで、あれ程に普及したフロッピーディスクの再生は最早簡単には行えない。3.5インチならばまだ途はあるが、5インチ、8インチ片面記録の類は最早絶望的である。
今当たり前に使われているjpgデーターを再生出来る環境が百年後に有るのだろうか?答えは否であろう。日本電気の文豪やシャープの書院のように国民機とまで呼ばれるほどに普及したワープロ専用機の行く末を見れば解ることである。
実物で残すにしても、このプリンターは変色に強いインクを使っていますから、と勧められたコマーシャルで有名なカラープリンターで印刷した写真は、これ嘘でしょ・・・・金返せ!とメーカーにクレームをいれたくなる程数年で見るも無惨な状態にまで変質してしまった。
純正インクを使っているのにこれは無いだろう。非常に腹立たしい。
カラープリンターメーカーには写真文化を守り育てる気持ちは微塵も無い。と断ぜざるを得ない。

このままでは、我々の生きている2000年代という時代は映像が残らない空白の時代となるのではないか?と危惧する次第である。



富士フイルム、黒白フィルムを復活 22日発売 愛好家の声を受け
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