今年になって、からというもの、日記に毎日のように替歌を挙げている、私の叫び。
私の、替歌を始めた、時期は、幼児期であり、西暦1970年代 50年前だよ。 小学校に入学した年が1973年昭和48年で、校庭での、朝礼で、同じ幼稚園の同級生が、ギャグをかました。当時、麻丘めぐみの「私の彼は左きき」が、ヒットしていて、ソイツが「私の彼は左まき」と口を突いてしまったことから、大爆笑で…
小学一年生の、ガキの言葉遊び…に、しては、過激なんだろうな。この強烈なトラウマに近いインパクトが、おれを今でも支配している〜1987年に、コミケ参加時に替歌本を作った言動力でもあり、30年40年過ぎようと、衰えてないのは、なぜだろうか?
私は、どうやら、社会不安の多い時に、その才能が出ている〜この傾向は、なぜだろうか?
替歌は、自分のために作っているのだろう。
他人に頼まれては、いない。なぜ、作るのか?
言霊で、鼓舞する必要があるから。
ならば、他人に、公開するのか?
ひとつは、友人へ、もう、ひとつは、他人への、自己表明を、したい
自分を奮い立たせよ。されば、道は、開かん
思いのたけを書いてみた
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