張丞相蒼は、陽武の人なり。書律歷を好む。秦の時、御史と為り、柱下の方書を主どる(索隠:周秦皆柱下の史有り、御史を謂うなり、方書は、如淳は以て方板と為す、小事は之を方に書すと謂う)。罪有り亡げ歸る。沛公の地を略し陽武を過ぐるに及び、蒼客
百二十六節弟子の咸丘蒙が尋ねた。「言い伝えに、『徳の高い人物は、君主も臣下にすることはできないし、親も子供としては扱えない。舜が君主の位に即くや、堯は諸侯を率いて臣下としての礼をとって拝謁し、父
百二十五節弟子の萬章は尋ねた。「舜の弟象は、日々舜を殺そうとしていたのに、舜は天子の位に即くと、死刑に処せず、ただ追放しただけなのは何故でございますか。」孟子は答えた。「諸侯に封じたのだ。
百二十四節弟子の萬章が尋ねた。「『詩経』に、『妻を娶るにはいかにせん、必ず父母に告げるべし。』とあります。この言葉が誠に正しいとするなら、舜の行動は許されないはずです。舜が父母に告げずに妻を