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2020年12月07日11:22

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『論語』為政第二 34、35、36章

                  34
弟子の子張が仕えて俸禄を求めるにはどうしたらよいかを尋ねた。孔子は言った、「多くの事を聞いて、その中から疑わしいものを取り除き、その残りの確かな事を慎重に述べるようにすれば、人から咎められることは少ないし、多くのものを見て、その中から不安に感じるものを取り除き、その残りの安全な事を慎重に行えば後悔することは少ない。言葉は人から咎められることが少なく、行いは自ら後悔することが少なければ、必ず人から信用されて用いられるので、俸禄は自然とついてくるものだ。」

子張學干祿。子曰、多聞闕疑、慎言其餘、則寡尤。多見闕殆、慎行其餘、則寡悔。言寡尤、行寡悔、祿在其中矣。

子張、祿を干むることを學ぶ。子曰く、「多く聞きて疑わしきを闕き、慎みて其の餘を言えば、則ち尤寡し。多く見て殆きを闕き、慎みて其の餘を行えば、則ち悔寡し。言に尤寡く、行いに悔寡ければ、祿は其の中に在り。」

<語釈>
○「子張」、孔子の弟子、姓は顓孫、名は師、字は子張。○「學」、『史記』の仲尼列伝に、子張、禄を干(もとめる)むるを問う、とあることから、「學」は「問」の義に解す。○「殆」、朱注:「殆」とは、未だ安ぜざる所。不安の意。

<解説>
修飾活動は知識や技術を身につけるのではなく、言行を正しく慎重にすることであると述べている。これは現在の就職活動にも言えることであろうか。これが全てだとは言えないかもしれないが、大切な事であることは間違いない。

                   35
魯の哀公が、「どうしたら民が服従するだろうか。」と尋ねた。孔子は答えた、「正直な人を任用して、邪で正直でない人を捨て去れば民は服従します。邪で正直でない人を用いれば民は服従しません。」

哀公問曰、何為則民服。孔子對曰、舉直錯諸枉、則民服。舉枉錯諸直、則民不服。

哀公問いて曰く、「何を為さば則ち民は服せん。」孔子對えて曰く、「直を舉げて諸を枉に錯けば、則ち民は服す。枉を舉げて諸を直に錯けば、則ち民は服せず。」

<語釈>
○「舉直錯諸枉」、集解:包咸曰く、「錯」は置くなり、正直な人を舉げて之を用い、邪枉の人を廢置せば、則ち民は其の上に服す。「邪枉」は邪で正直でない人

<解説>
君主たる者は常に民が己に心服することを望んでいるが、それが可であるか不可であるかは君主の側に要因があるのに、それを理解している君主が少ない。『荀子』の君道篇に、「君なる者は、民の原なり。原清めば則ち流清み、原濁れば則ち流濁る。故に社稷を有つ者にして、民を愛すること能わず、民を利すること能わずして、而も民の己を親愛せんことを求むるは、得可からざるなり。民の親しまず愛せずして、而も己が為に用(はたらく)き、己が為に死せんことを求むるは、得可らざるなり。民の己が為に用かず、己が為に死せずして、而も兵の勁く、城の固きを求むるも、得可からざるなり。」と述べられているように、民から心服されることを望むなら、君主自身が身を修めることに努力しなければいけないのだ。

                   36
魯の大夫である季康子が尋ねた、「民に上を尊敬し上に忠義を尽くさせ、進んで善を行うようにさせるには、どうしたらよいでしょうか。」孔子は答えた、「民に対して言行を慎んで厳かに接すれば、民もその上を尊敬するようになります。又上の者が親に孝行であり、民を慈しむようであれば、民も上に忠義を尽くすようになります。善人を挙用して、善を行うことができない者は教え導くようにすれば、人々は皆善を行うようになります。」

季康子問、使民敬忠以勸、如之何。子曰、臨之以莊則敬。孝慈則忠。舉善而教不能則勸。

季康子問う、「民をして敬忠にして以て勸ましむるには、之を如何せん。」子曰く、「之に臨むに莊を以てすれば則ち敬す。孝慈なれば則ち忠なり。善を舉げて不能を教うれば則ち勸む。」

<語釈>
○「季康子」、朱注:季康子は、魯の大夫季孫子、名は肥。○「臨之以莊則敬」、集解:包咸曰く、「莊」は厳なり、君、民に臨むに厳を以てすれば、則ち民其の上を敬す。

<解説>
この章も前章と同じく、民を治めるには、先ず君主自身が正しくあるべきだと説いている。『荀子』君道篇にも、「君なる者は、民の原なり。原清めば則ち流清み、原濁れば則ち流濁る。」とある。

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