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2020年07月17日10:22

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口語訳『荀子』修身篇第二

                 修身篇第二
善を見れば、修然(楊注:「修然」は、整飭の貌。身をととのえること)として必ず以て自ら存(かえりみる、王念孫は「存」を「省」、「察」の意に解す)み、不善を見れば、愀然(シュウ・ゼン、楊注:「愀然」は憂懼の貌。うれえつつしむこと)として必ず以て自ら省みるなり。善身に在れば、介然(楊注:「介然」は、堅固の貌。固く守って変わらない事)として必ず以て自ら好み、不善身に在れば、菑然(シ・ゼン、「菑」は「淄」に通じ、泥で汚れ黒ずむこと)として必ず以て自ら惡むなり。故に我を非として當る者は、吾が師なり。我を是として當る者は、吾が友なり。我に諂諛する者は、吾が賊なり。故に君子は師に降りて友に親しみ、以て致(楊注:「致」は、猶ほ「極」のごときなり。きわめてと訓ず)めて其の賊を惡む。善を好みて厭くこと無く、諫を受けて能く誡むれば、進むこと無からんと欲すと雖も得んや。小人は是に反す。亂を致めて而も人の己を非とするを惡み、不肖を致めて而も人の己を賢とせんことを欲し、心虎狼の如く、行い禽獸の如くして、而も又人の己を賊とすることを惡み、諂諛する者は親しみ、諫爭する者は疏んじ、修正(身を修めた人)を笑いと為し、至忠を賊と為す。滅亡すること無からんと欲すと雖も得んや。詩(小雅の小旻篇)に曰く、「滃滃(キュウ・キュウ、軽々しく人と和すること)訿訿(シ・シ、軽々しく人を誹ること)として、亦た孔(「甚」に同じ。はなはだ)だ之れ哀し。謀の其れ臧(「善」に同じ、よし)きには、則ち具に是れ違い、謀の臧からざるには、則ち具に是れ依る。」此を之れ謂うなり。
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