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2020年06月28日10:28

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『呉子』圖國第一 第五章

                  第五章
魏の武侯は尋ねた、「どうか軍を整え治め、兵士たちの才能を見極め、国家の守りを固くする方法を聞かせてもらいたい。」呉子は答えた、「昔の賢明な王は君臣の礼を大切にし、身分の威儀を整え飾り、役人と庶民とを安住させ、その地の風俗に従って民を教え導いて、すぐれた人材を選び募って、万一の戦争に備えたのであります。昔、斉の桓公は士五万人を募って覇者となり、晋の文公は先陣を成す勇士四万人を集めて志を得て覇者となり、秦の繆公は敵陣を陥れる突撃部隊三万人を組織して周囲の敵国を服従させました。だから強国の君主は必ず我が民の能力力量を推し図ります。そして胆力勇気があり精神力の強い者を集めて一部隊を編成します。死を厭わずに進んで戦い力を発揮して、真心と勇気を顕そうとする者を集めて一部隊を編成します。高く飛び上がり遠方まで疲れずに行くことができ、敏速によく走ることができる者を集めて一部隊を編成します。現在罪を犯して臣下ではないが、功績を挙げて君主に認めてもらいたいと望んでいる者を集めて一部隊を編成します。一度は城を棄てて守りを放棄したが、その恥を何とか雪ぎたいと思っている者を集めて一部隊を編成します。この五つの部隊は軍の精鋭部隊であります。このような精兵が三千人もいれば、敵に囲まれたとしても、内より出撃してはどんな囲みも打ち破ることができ、外より攻め入ればどんな城でも攻め落とすことができるのであります。」

武侯問曰、願聞治兵、料人、固國之道。起對曰、古之明王、必謹君臣之禮、飾上下之儀、安集吏民、順俗而教、簡募良材、以備不虞。昔齊桓募士五萬、以霸諸侯。晉文召為前行四萬、以獲其志。秦繆置陷陳三萬、以服鄰敵。故強國之君、必料其民。民有膽勇氣力者、聚為一卒。樂以進戰效力、以顯其忠勇者、聚為一卒。能踰高超遠、輕足善走者、聚為一卒。王臣失位而欲見功於上者、聚為一卒。棄城去守、欲除其醜者、聚為一卒。此五者、軍之練銳也。有此三千人、内出可以決圍、外入可以屠城矣。

武侯問いて曰く、「願わくは兵を治め、人を料り、國を固くするの道を聞かん(注1)。」起對えて曰く、「古の明王は、必ず君臣の禮を謹み、上下の儀を飾り、吏民を安集し、俗に順いて教え、良材を簡募して、以て不虞に備う。昔齊桓は士五萬を募りて、以て諸侯に霸たり。晉文は前行を為す四萬を召して、以て其の志を獲たり。秦繆は陷陳三萬を置きて(注2)、以て鄰敵を服せり。故に強國の君は、必ず其の民を料る。民の膽勇氣力有る者は、聚めて一卒と為す。樂しみて以て進みて戰い、力を效して、以て其の忠勇を顯す者は、聚めて一卒と為す。能く高きを踰え遠きを超え、輕足にして善く走る者は、聚めて一卒と為す。王臣の位を失いて功を上に見わさんと欲する者は、聚めて一卒と為す。城を棄て守りを去りて、其の醜を除かんと欲する者は,聚めて一卒と為す。此の五者は軍の練銳なり。此の三千人有れば、内より出でては以て圍みを決す可く、外より入りては以て城を屠る可し。」

<語釈>
○注1、直解:武侯は魏の文侯の子、名は撃、呉起に問いて曰く、願わくは師旅を整治し、敵情を料度し、國家を固守するの、三者の道を聞かん。直解は「料人」を敵情を料度するの意に解しているが、これは採用しない。自軍の兵たちの才能を推し図る意に解す。○注2、「陷陳」は敵陣を陥れる意で、突撃部隊を指す。

<解説>
いつの世も同じである。人材こそが命である。戦いに勝つためには精鋭部隊を編成することが大事であると説いている。しかしこれは一面真理であるが、必ずしもそうでないこともある。漢の劉邦と楚の項羽との戦いを見ればよく分かる。劉邦の軍は烏合の衆の集りで、項羽の軍は精鋭部隊であった。だから初めの内は劉邦の軍が圧倒的に負けていた。しかし最終的には烏合の衆の多さに少ない精鋭部隊が敗れる形となった。長期戦になれば精鋭部隊と雖も次第にやせ細っていくし、精鋭部隊はそう簡単に補充がきかない。消耗戦になれば、圧倒的に数が多い方が勝つのである。呉子がこの楚漢の戦いを見ていれば、どのように思うか興味のある所である。

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