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2020年05月11日10:26

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『呉子』圖国第一 第三章

                  第三章
呉子は言う。およそ国を治め軍を統御するためには、必ず人々を礼儀により教化し、正義の行いをもって励まして、正義から外れることに対して恥を知る心を持たせることである。そもそも人に正義に悖る行いに対して恥じる心があれば、大国では死をも恐れず進んで戦うに十分であり、小国では心を一つにして自国を守るに十分である。しかしながら、戦いに勝つことはたやすいが、防御によって勝つことは難しい。だから、「天下の争っている国々で、五たび勝つ国には禍が降りかかり、四たび勝つ国は疲弊し、三たび勝つ国は覇者となり、二度勝つ国は王者となり、一度勝つ国は帝となる。」と言われている。このことからして、しばしば勝って天下を得ることは稀であって、反って滅亡する国の方が多い。

呉子曰、凡制國治軍、必教之以禮、勵之以義、使有恥也。夫人有恥、在大足以戰、在小足以守矣。然戰勝易、守勝難。故曰、天下戰國、五勝者禍、四勝者弊、三勝者霸、二勝者王、一勝者帝。是以數勝得天下者稀、以亡者衆。

吳子曰く、「凡そ國を制し軍を治むるには、必ず之に教うるに禮を以てし、之を勵すに義を以てして、恥有らしむるなり。夫れ人恥有れば、大に在りては以て戰うに足り、小に在りては以て守るに足る(注1)。然れども戰いて勝つは易く、守りて勝つは難し(注2)。故に曰く、天下の戰う國、五たび勝つ者は禍なり、四たび勝つ者は弊(ついえる)え、三たび勝つ者は霸たり、二たび勝つ者は王たり、一たび勝つ者は帝たり、と。是を以て數々勝ちて天下を得る者は稀に、以て亡ぶる者は衆し。」

<語釈>
○注1、直解:夫れ人に羞恥の心有れば、必ず義に奮う、故に大に在りては以て進んで戰いて死を致すに足る、小に在りては以て固く守りて心を一にするに足るなり。大・小の解釈は、国の大小、軍の大小、力の大小などの諸説があるが、一応国の大小に解釈しておく。○注2、直解:然れども幣を交え刃を接し、人と力戦して、勝を取るは易し、所謂其の次は兵を伐つ者なり、軍を固くし塁を深くし、自ら用て堅守して、勝を取るは難し、所謂戰わずして人の兵を屈する者なり

<解説>
この章は全体的に文意が続かない。後人の加筆があると思う。その為に何とか文意を続けようとして、工夫されているが、その事はあまり深く考えず、書かれていることを単純に理解するだけに止めたいと思う。猶ほ『孫子』の謀攻篇にも、「百戦百勝は善の善なるものに非ず、戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。」とあり、似た内容になっているので参照するのがよい。

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