mixiユーザー(id:17180778)

2020年03月21日16:27

53 view

『呉子』圖國第一 第一章

                 第一章
呉子は言う。昔の国家を治める者は先ず民に教育を施して民と親しみ団結した。その大事な団結を乱す不和には四つある。国内の君臣上下が不和であれば軍を出してはいけない。軍の内部の将軍・官吏・士卒が不和であれば軍を進めて陣営を設けてはいけない。軍の隊伍が不和であれば軍を進めて戦ってはいけない。軍の行動に不和があれば決戦してはいけない。このようなことから有徳の君主は人民を動員する前に、先ず人民と親しみ和合してから国家の大事をなす。国家の大事をなすに当たっては、一個人の謀を信用せずに、必ず祖廟に報告して、亀甲を焼いて吉凶を判断し、天時の宜しきを得ているかを考えて、すべてが吉であって始めて大事をなすのである。人民は君主が自分たちの命を大切に思い、その死を惜しんでいるのが、これほどまでに深いことを知る。そこで君主が民と共に国の難事に臨めば、彼らは死力を尽くすことを栄誉とし、退いて生存することを恥辱とする。

呉子曰、昔之圖國家者、必先教百姓而親萬民。有四不和。不和於國、不可以出軍。不和於軍、不可以出陳。不和於陳、不可以進戰。不和於戰、不可以決勝。是以有道之主、將用其民、先和而後造大事。不敢信其私謀、必告於祖廟、啓於元龜、參之天時、吉乃後舉。民知君之愛其命、惜其死、若此之至。而與之臨難、則士以盡死為榮、退生為辱矣。

吳子曰く、「昔の國家を圖る者は、必ず先づ百姓を教えて萬民を親しむ。四つの不和有り。國に和せざれば、以て軍を出だす可からず(注1)。軍に和せざれば、以て出でて陳す可からず(注2)。陳に和せざれば、以て進みて戰う可からず(注3)。戰いに和せざれば、以て勝ちを決す可からず(注4)。是を以て有道の主は、將に其の民を用いんとすれば、先づ和して而る後に大事を造す。敢て其の私謀を信ぜず、必ず祖廟に告げ、元龜を啓き、之を天時に參し、吉なれば乃ち後に舉ぐ。民、君の其の命を愛しみ、其の死を惜しむこと(注5)、此の若くの至れるを知る。而して之と難に臨めば、則ち士は死を盡くすを以て榮と為し、退きて生くるを辱と為す。」

<語釈>
○注1、直解:國に和せざるとは、君臣上下相和協せざるなり、國既に不和なれば、民心乖違す、故に以て軍を出だす可からざるなり。○注2、直解:軍に和せざるとは、将吏士卒相和協せざるなり、軍既に不和なれば、衆の心は乖違す、故に以て出陣す可からず。○注3、直解:陳に和せざるとは、行列部伍相和協せざるなり。陳既に不和なれば、行伍乖違す、故に以て出でて戰う可からず。○注4、直解:戰いに和せざるとは、坐作進退、相和協せざるなり、戰い既に不和なれば、進退乖違す、故に以て勝を決す可からず。○注5、服部宇之吉氏云う、其の命、其の死は、民の命、民の死なり。

<解説>
この章の趣旨は、先ず和して、しかる後に大事をなす、と言うことである。それは団結が大事であることを言っているように見えるが、団結とは意義が違う。団結とは対等の立場で結ぶものであるが、ここで言う和とは、あくまで君主の立場からの目上視線であり、それは戦いに於いて民が君主の為に死を恐れずに戦うことを目的としている。民にとっては迷惑な和である。

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する