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2020年01月04日12:06

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『呉子』解説

                             呉子解説
                           一、呉子について
 呉子については、『説苑』や『韓非子』や『戦国策』魏策などに説話が記録されているが、何といっても基本史料は『史記』の呉起傳であろう。それによれば呉起は衛の人であり、嘗て曾子に学び、それから魯に仕え、後魏にゆき、次いで楚にゆき、宰相となったが、その政策が下に暑く王公貴族を疎んずるものであったため、悼王が亡くなると王公貴族により殺されたことになっている。曾子は年代から言って孔子の弟子の曾參でなく、子の曾申であろうと言われている。呉起の人と為りは、下の者を大事にすることであった。その為に楚で殺されたのである。この人と為りをあらわしたものに魏の時代の説話を『史記』は伝えている。「起の将為るや、士卒の最下の者と衣食を同じくす。臥するに席(寝床)を設けず。行くに騎乗せず、親ら糧を裹(つつむ)み贏(になう)い、士卒と労苦を分かつ。卒に疽を病む者有り、起、為に之を吮う。」これが誠であるならば、将に王公貴族の忌み嫌う所であって、この当時では殺されるのも当然であるかもしれない。より詳しく知りたい方は私のホームページから『史記』孫子呉起列伝を参照してください。http://gongsunlong.web.fc2.com/

                          二、『呉子』書
 現在伝えられている『呉子』の内容は六篇であり、『漢書』芸文志には「呉起四十八篇」と記載されており、又『史記』孫子呉子列伝の太史公の論賛に、「世俗の師旅(軍事兵法)を称するは、皆孫子の十三篇を道い、呉起の兵法、世に多く有り。故に論ぜず。」とあり、多くの篇があったことが推測される。しかしその多くは魏晉南北朝頃には散逸してしまい、言行の六篇のみが残されたと言われている。又一方ではこの六篇も『漢書』芸文志に述べられている四十八篇の中に含まれるものではなく、後のものであるという説もある。この六篇が呉起の手になるものかどうかは判然としないが、その内容は戦国時代の兵法を説いたものであり、この時代の兵法を知るうえで『孫子』と並んで尊重すべきものである。

                           三、『呉子』の注釈書及び底本
 『呉子』の注釈書については、『隋書』に見える賈詡注が最古であるとされているが現在に伝わっていない。北宋の神宗の時代になって、『孫子』・『呉子』・『司馬法』・『尉繚子』・『李衛公問對』・『石公三略』・『六韜』の七書を兵法書として修学させたことに始まり、七書の注釈がなされることになり、『呉子』の注釈も見られるようになった。その中で明の時代の劉寅による『七書直解』が最も有名である。その他鄭霊の『武經通鑑』、黄献臣の『武經開宗』、彭継耀の『武經七書集註大全』など数多くある。我が国においても多くの注釈本がある。今回解読の定本は、服部宇之吉氏による劉寅の『七書直解』基づいた注釈書であり、富山房刊行の漢文大系に収められている。

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