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2019年12月14日11:03

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『論語』学而第一

1
孔子言う、詩経や書経等の先人の教えを、常に繰り返し暗誦して学んでいれば、自然と理解が深まり、益々学ぶことを止めることが出来なくなる。これは誠に嬉しいことではないか。そうして学んでいれば、近くはもちろん、遠くからも道を同じくする人がやってきて、学んだことを共に語り合うようになる。これはなんと楽しいことではないか。このように学問をすると言うことは、己自身を向上させることであり、誠の喜びが得られるのであるから、世間から認められなくても全く気にかからないし怨む心も懐かない。このような道を楽しんで世間の評価を気にしない人こそ、成徳の高い君子というべき人ではないか。

子曰、學而時習之、不亦說乎。有朋自遠方來、不亦樂乎。人不知而不慍、不亦君子乎。

子曰く、學びて時に之を習う、亦た說ばしからずや。朋遠方自り來たる有り、亦た樂しからずや。人知らずして慍みず、亦た君子ならずや。

<語釈>
○「子」、集解:馬融曰く、子は、男子の通称、孔子を謂うなり。○「學而時習之」、集解:王粛曰く、時・學ぶは、時を以て誦習するなり、誦習するに時を以てせば、學ぶこと廢業する無し。○「不亦說乎」、朱注:既に學びて又時時之を習わば、則ち學ぶ所は熟して、中心喜説し、其の進むこと自ら已むること能わず。○「朋」、集解:包咸曰く、同門を朋と曰う。朱注:朋は、同類なり。ここでは同門も含めて学ぶべき道を同じくする人。○「慍」、朱注:慍は、怒意を含む。これから“うらむ”と訓ず。○「君子」、朱注:君子は、成徳の意。尹氏曰く、學は己に在り、知る知らずは人に在り、何ぞ慍むこと之れ有らん。

<解説>
この章を首篇としたことについて朱注は、「此れ書の首篇為り、故に記す所本に務むるの意多し、乃ち道に入るの門、徳を積むの基、學者の先づ務なり、凡そ十六章。」と述べている。論語は学に始まりに学に終わると言われるように学問を勧める書でもある。その首篇にふさわしく、学問の根本について三段階に分けて述べられている。第一段階は、学問というものは絵空事を学ぶのではなく、先人の教えを繰り返し学んで身につけることから始まると言っている。第二段階は、同学の志を持つ者と共に語り合い、さらに道を深めていき、周囲に影響を及ぼしていくことの重要性が述べられている。第三段階は、学問は己の為にするものであって、人から認められたり、地位を得たりするのは人との関わり合いによるものなので、得られないからと言って怨むことではない、『論語』三百七十篇でも、「我を知る者は其れ天か。」と述べられている。

2
弟子の有子が言う、父母には孝行をつくし、兄には従順な人柄で、目上の人に好んで逆らう者は滅多にいない。目上の人にたてつくことを好まない人柄で、反逆して争うことを好む者は、未だ嘗ていない。君子は何事においても根本に力を注ぐ。根本が確立すれば道は自然に生じるのであって、この孝弟というものは仁を行う根本である。

有子曰、其為人也、孝弟而好犯上者鮮矣。不好犯上而好作亂者、未之有也。君子務本。本立而道生。孝弟也者、其為仁之本與。

有子曰く、其の人と為りや、孝弟にして上を犯すことを好む者は鮮し。上を犯すを好まずして亂を作すを好む者は、未だ之れ有らざるなり。君子は本を務む。本立ちて道生ず。孝弟なる者は、其れ仁を為すの本か。

<語釈>
○「有子」、朱注:有子は孔子の弟子、名は若、善く父母に事え、孝を為し、善く兄長に事え、弟を為す。○「作亂者」、朱注:「作亂」は、則ち悖亂争闘の事を為す、此れ人能く孝弟ならば、則ち其の心和順にして、上を犯すを好むこと少なく、必ず亂を作すを好まざるを言うなり。

<解説>
孔子の生まれた春秋時代は、乱臣賊子が輩出しどこの国も大いに乱れていた。国の乱れは秩序の乱れによるもので、その秩序の乱れは人として最も大切にしなければならない秩序、乃ち父母には孝行、兄には従順という秩序が乱れているからで、此の秩序を正すことによって国も正しく治まると孔子は説くのである。この孝弟を正しく守り行うことが仁の根本であり、孔子の思想の根幹をなす仁の重要性を説いている。

3
孔子言う、言葉を巧みにし、愛想のよい顔つきをして取り入ろうとする人には、仁愛の心がないものだ。

子曰、巧言令色、鮮矣仁。

子曰く、巧言令色、鮮し仁。

<語釈>
○「巧言令色」、集解:包咸曰く、巧言は、其の言語を好む、令色は、その顔色を善くし、皆人をして之を説ばしめんと欲す。

<解説>
この句は、『論語』の中でももっともよく知られた言葉であろう。孔子は巧言令色の人物をもっとも忌み嫌っている。此の事については『論語』の各所に見られることで、この短い文章の中に孔子の強い意志が見られる。又程子が、「巧言令色の仁に非ざるを知らば、則ち仁を知る。」と述べているように、外見に捉われることを誡めた節である。

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