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2019年11月12日10:58

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『孟子』巻第十四盡心章句下 二百六十節 最終回

今回をもって長きにわたった『孟子』の解読も最終回を迎えることができました。永らくおつきあいくださった皆様方に深く感謝いたします。
『孟子』が終われば、次は当然『論語』と言うことになります。『論語』に関しては多くの書物があり、今更私が解読するようなことは何もないと思うのですが、できる限り多くの人に分かりやすく理解しやすいものにしたいと思っています。引き続きおつきあいのほどをよろしくお願いします。

                      二百六十節
孟子は言った。
「堯・舜から殷の湯王までは五百年。夏の禹王や舜の家臣であった皋陶などは、堯・舜の徳を直接見て知っており、湯王などは伝え聞いて知ったのである。湯王から周の文王までは五百年。湯王の家臣であった伊尹・萊朱などは、湯王の徳を直接見て知っており、文王などは、伝え聞いて知ったのである。文王より孔子までは五百年。文王の家臣であった太公望や散宜生などは、文王の徳を直接見て知っており、孔子などは、伝え聞いて知ったのである。孔子から今の時代までは百年。聖人孔子の時代からはそれほど遠く経っていない。また孔子が住んでいた魯の地は、私の故郷である鄒とはこんなにも近いのである。それにもかかわらず、私が孔子の徳を知らないとするならば、後世それを伝え聞き知る者もいなくなってしまうだろう。だから私は孔子の徳を述べるのだ。」

孟子曰、由堯舜至於湯、五百有餘歲。若禹皋陶、則見而知之。若湯、則聞而知之。由湯至於文王、五百有餘歲。若伊尹萊朱則見而知之。若文王、則聞而知之。由文王至於孔子、五百有餘歲。若太公望・散宜生、則見而知之。若孔子、則聞而知之。由孔子而來至於今、百有餘歲。去聖人之世、若此其未遠也。近聖人之居、若此其甚也。然而無有乎爾、則亦無有乎爾。

孟子曰く、「堯舜由り湯に至るまで、五百有餘歲。禹・皋陶の若きは、則ち見て之を知る。湯の若きは、則ち聞きて之を知る。湯由り文王に至るまで、五百有餘歲。伊尹・萊朱の若きは、則ち見て之を知る。文王の若きは、則ち聞きて之を知る。文王由り孔子に至るまで、五百有餘歲。太公望・散宜生の若きは、則ち見て之を知る。孔子の若きは、則ち聞きて之を知る。孔子由り而來今に至るまで、百有餘歲。聖人の世を去ること、此の若く其れ未だ遠からざるなり。聖人の居に近きこと、此の若く其れ甚しきなり。然り而して有ること無しとせば、則ち亦た有ること無からん。」

<語釈>
○「皋陶」、舜の家臣、刑罰を司る官になった。○「伊尹・萊朱」、共に湯王の賢臣。○「太公望・散宜生」、共に文王の賢臣。○「聖人之居」、孔子が住んでいた魯の国を指す。○「無有乎爾、則亦無有乎爾」、朱注:林氏曰く、孟子言う、孔子より今に至るまでの時未だ遠からず、鄒・魯相去ること又近し、然り而して已に見て之を知る者無くんば、則ち五百餘歳の後、又豈に復た聞きて之を知る者有らんや、と。これ以外の解釈もあるが、これを採用する。

<解説>
『孟子』の最終節である。それにふさわしく、聖人孔子の道を伝える決意を示している。服部宇之吉氏云う、「孟子、孔子に事うるに及ばざりしが、私に孔子に淑し、其の志を継ぎ先王の道を天下に行わんと欲し、東西奔走して而かも遂に其の志を得ず、乃ち弟子萬章等と共に此書を撰し、道を後世に期せんとしたり、此章は道の行われざるを三歎し、以て其の志を示す。」当に『孟子』を締めくくるにふさわしい解説である。私が付け加えることは何もない。

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