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2019年09月16日10:20

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『史記』吳王濞列伝

吳王濞は、高帝の兄劉仲の子なり。高帝已に天下定めて七年、劉仲を立てて代王と為す。而して匈奴、代を攻むるや、劉仲堅く守ること能わず。國を棄てて亡げ、旅圓靴雒陽に走り、自ら天子に歸す。天子、骨肉の為の故に、法を致すに忍びず、廢して以て郃陽侯と為す。高帝十一年秋、淮南王英布反し、東のかた荊の地を并せ、其の國兵を劫し、西のかた淮を度り、楚を撃つ。高帝自ら將として往きて之を誅す。劉仲の子沛侯濞年二十、氣力有り、騎將を以て從い布の軍を蘄の西、會甀(スイ)に破り、布走る。荊王劉賈、布の殺す所と為り、後無し。上、呉・會稽の輕悍(気性が荒く不安定)にして、壯王の以て之を填する無きを患う。諸子少し。乃ち濞を沛に立てて吳王と為し、三郡五十三城に王とす。已に拜して印を受く。高帝、濞を召して之を相し、謂いて曰く、「若の狀、反相有り。」心獨り悔ゆれども、業已(二字で“すでに”)に拜す。因りて其の背を拊で、告げて曰く、「漢の後五十年、東南に亂有らんには、豈に若か。然れども天下同姓にして一家為り。慎んで反すること無かれ。」濞頓首して曰く、「敢てせず。」會々孝惠・高后の時、天下初めて定まり、郡國の諸侯各々務めて自ら其の民を拊循す。呉に豫章郡の銅山有り。濞則ち天下の亡命者を招致して、盜(ひそかに)かに銭を鑄、海水を煮て鹽を為る。故を以て賦無くして、國用富饒なり。孝文の時、呉の太子入りて見え、皇太子に侍して飲博するを得たり。呉の太子の師傅は皆楚人、輕悍にして、又素より驕る。博して道を爭い不恭なり。皇太子、博局を引きて呉の太子に提(なげうつ)ちて之を殺す。是に於て其の喪を遣り歸葬せしむ。呉に至る。呉王慍りて曰く、「天下同宗なり、長安に死せば即ち長安に葬らん。何ぞ必ずしも來りて葬らんや(「為」は反語の助辞)。」復た喪を派り長安に之きて葬る。
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