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2019年08月18日10:23

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『孟子』巻第十四盡心章句下 二百二十六節、二百二十七節、二百二十八節

                            二百二十六節
孟子は言った。
「自分は戰の陣立てが得意だし、上手に戦いをこなすことが出来る、などと言う者がいたら、その者は大罪人である。国君が仁を好めば、天下に敵する者はいなくなる。昔殷の湯王が、南方を征伐すれば、北狄の人々が怨み、東方を征伐すれば、西夷の人々が怨み、どうして我々を後回しになさるのか、と言ったし、周の武王が殷の紂王を伐ったときは、兵車はわずか三百台、兵士は三千人に過ぎなかったが、武王が殷の人民に、恐れることはない、お前たちを安んずる為にきたのだ。民をを敵としているのではないぞ、と言うや、人々は雪崩を起こしたように一斉に武王の前に頓首してなびき従った。征という言葉は、正すということである。各々人民が、仁者がやってきて、己の国を正しくしてくれることを望んでいるようなら、どうして戦争などする必要があろうか。」

孟子曰、有人曰、我善為陳、我善為戰。大罪也。國君好仁、天下無敵焉。南面而征、北狄怨、東面而征、西夷怨。曰、奚為後我、武王之伐殷也、革車三百兩、虎賁三千人。王曰、無畏、寧爾也。非敵百姓也。若崩厥角稽首。征之為言、正也。各欲正己也、焉用戰。

孟子曰く、「人有り曰く、『我善く陳を為し、我善く戰いを為す。』大罪なり。國君、仁を好めば、天下に敵無し。南面して征すれば、北狄怨み、東面して征すれば、西夷怨む。曰く、『奚為れぞ我を後にする。』武王の殷を伐つや、革車三百兩、虎賁三千人。王曰く、『畏るること無かれ、爾を寧んずるなり。百姓を敵とするに非ざるなり。』崩るるが若く厥角稽首す。征の言為る、正なり。各々己を正しくせんと欲せば、焉くんぞ戰いを用いん。」

<語釈>
○「南面而征」、朱注:南面而征云々は、此れ湯の事を引き、以て之を明らかにす。○「厥角稽首」、趙注、朱注共に分かりにくい、服部宇之吉氏の解説が分かりやすいので、それを採用する。云う、「厥は頓首の頓に同じ、角は獣角にて又人の額ともなる、厥角は獣が角を以て地に觸るるが如く、民の武王を迎えて降り、頓首せるを云う」。○「各欲正己也」、趙注:各々武王をして來たり己の国を征しめんと欲す、安くんぞ善く戰陳する者を用いん。

<解説>
前節、前々節と併せて読むべき内容であり、その趣旨は改めて述べるまでもないので、趙岐の章指を紹介しておく、「民、明君を思うこと、旱に雨を望むが若し、仁を以て暴を伐たば、誰か欣喜せざらん、是を以て殷の民、厥角し、周の師、歌舞す、焉くんぞ善く戰うものを用いん、故に云う、罪なり。」

                           二百二十七節
孟子は言った。
「大工や車作りの職人は、ぶんまわしや定規の使い方を教えることはできるが、人を巧者にすることはできない。」

孟子曰、梓匠輪輿能與人規矩、不能使人巧。

孟子曰く、「梓匠・輪輿は、能く人に規矩を與うるも、人をして巧みならしむること能わず。」

<語釈>
○「梓匠・輪輿」、梓匠は、大工、輪輿は、車作り。梓・匠・輪・輿と四分割する説もあるが、執らない。

<解説>
趙岐云う、「規矩の法、喩うるに典禮の若し、人、仁を志さずんば、憲籍を誦すと雖も、以て善くすること能わず。」と。人に道理を教えることはできるが、それを実践し、仁者とすることはできない。それを可能にするのは本人の努力だけである。

                           二百二十八節
孟子は言った。
「舜が微賤であったころ、乾し飯を食らい、草を食らい、生涯そうして暮らすように思われた。ところが堯から天子の位を譲られると、模様のある衣を着、琴を演奏し、堯の娘二人を娶って側に侍らせるようになったが、昔からそうであったかのように特にそれらに心を動かされることも無く、平然としていたそうだ。」

孟子曰、舜之飯糗茹草也、若將終身焉。及其為天子也、被袗衣、鼓琴、二女果、若固有之。

孟子曰く、「舜の糗を飯い草を茹うや、將に身を終えんとするが若し。其の天子と為るに及びてや、袗(シン)衣を被り、琴を鼓し、二女果る、之を固有するが若し。」

<語釈>
○「飯糗茹草」、飯は“くらう”と訓じ、「糗」(キュウ)は、乾し飯、「茹」(ジョ)は“くらう”と訓ず。○「袗衣」、趙注、朱注共に、画衣とする。

<解説>
困窮栄達の環境により、己の心が左右されること無く、常に正しい道を守り、平然と過ごすのは、趙岐も云う、「凡人の難しとする所」と。

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