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2019年08月01日10:22

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『孟子』巻第十三盡心章句上 二百二十一節、二百二十二節

                          二百二十一節
孟子は言った。
「君子は草木禽獣などの物には、大切にしかわいがるが、人間に対するような愛情の念は懐かない。民に対しては、愛情の念は懐くが、親族に対するような親しみは懐かない。親族を親しんで民を愛し、民を愛して物を大切にする。これが仁の正しい順序である。」

孟子曰、君子之於物也、愛之而弗仁。於民也、仁之而弗親。親親而仁民、仁民而愛物。

孟子曰く、「君子の物に於けるや、之を愛すれども仁せず。民に於けるや、之を仁すれども親しまず。親を親しみて民を仁し、民を仁して物を愛す。」

<解説>
ここでは愛と仁とについて述べられている。仁について程子は、「仁は己を推して人に及ぼす、吾が老を老し、以て人の老に及ぼすが如し、民に於いては則ち可なり、物に於いては則ち不可なり、統べて之を言えば、則ち皆仁なり、分かちて之を言えば、則ち序有り。」と述べており、仁は忠恕の心であり、仁の徳は全てを統括するものであるが、それを区別すれば等差があるということである。
尚ほ「愛」について、私は愛しむの意に解し、大切にする心と理解した。

                        二百二十二節
孟子は言った。
「知者は何でも知っているが、本来すべきことを真っ先にする。仁者は何でも愛するが、先ず賢者を親愛することを急務とする。堯や舜のような知者でも、それが全てに及んでいないのは、先ずやるべき務めを急ぐからである。堯や舜のような仁者でも、それが全ての人に及んでいないのは、賢者を親愛することを急務とするからである。最も大切な三年の喪を行いもせずに、緦小や功のような軽い喪の事を具に論議したり、大飯を食らい、汁物を流し込むように飲んだりの大きな非礼を行いながら、乾し肉を齒で噛み切ったりするなどの小さな非礼を問題とする。これこそ、先ず為さねばならない本務を知らない、ということであり、本末転倒も甚だしい。」

孟子曰、知者無不知也。當務之為急。仁者無不愛也。急親賢之為務。堯舜之知而不遍物、急先務也。堯舜之仁不遍愛人、急親賢也。不能三年之喪、而緦小功之察、放飯流歠、而問無齒決、是之謂不知務。

孟子曰く、「知者は知らざること無きなり。當に務むべきを之れ急と為す。仁者は愛せざること無きなり。賢を親しむを急にするを之れ務と為す。堯舜の知にして物に遍からざるは、先務を急にすればなり。堯舜の仁にして人を愛するに遍らざるは、賢を親しむを急にすればなり。三年の喪を能くせずして、緦(シ)・小功を之れ察し、放飯・流歠(セツ)して、齒決すること無きを問う、是を之れ務めを知らずと謂う。」

<語釈>
○「緦小功」、「緦」(シ)は、緦麻のこと、細い麻糸で織った喪服で、五段階の喪服の中では最も軽く、喪の期間は三月、「小功」は、細やかに織った麻の喪服、下から二番目、喪の期間は五ヶ月。○「放飯流歠」、「放飯」は、放に大食すること。「歠」(セツ)は、すすりのむ意、「流歠」で、汁物を流し込むように飲むこと。放飯・流歠共に禮無きの態度。○「齒決」、朱注:齒決は、乾し肉を齧斷し、不敬の小なる者なり。

<解説>
何事も本を知り、それを行うことを優先させること。細かな事に取らわれてそれを忘れてはいけないと教えている。『大学』の第一節に、「物に本末有り、事に終始有り。先後する所を知れば、則ち道に近し。」とあり、同じ趣旨であろう。
喪服の種類は、重いものから、斬衰・斉衰・大功・小功・緦麻の五段階であり、喪服の仕立ては、上に行くほど粗末になる。喪の期間は、斬衰は三年、斉衰は三年、又は一年、大功は九ヶ月、又は七か月、小功は五ヶ月、緦麻は三か月ということになっている。

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